歌麿懺悔
本文約11,300字 ・ 読了時間 約23分
あらすじ(AIが作成しました)
彫師の亀吉から、かつて自身が描いた錦絵の女と瓜二つの陰女がいると聞かされた歌麿。自身の画業への誇りと興味から、その女のもとへ向かう。しかし、訪れた先で予期せぬ人物と遭遇し、逃げ帰った歌麿は次第に不可解な身体の不調に襲われる。かつての作品に描いた女と現実に潜む影、そして己の過去と向き合うなか、歌麿を待ち受ける運命を描く。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
一
「うッふふ。――で、おめえ、どうしなすった。まさか、うしろを見せたんじゃなかろうの」
「ところが師匠、笑わねえでおくんなせえ。忠臣蔵の師直じゃねえが、あっしゃア急に命が惜しくなって、はばかりへ行くふりをしながら、褌もしずに逃げ出して来ちまったんで。……」
「何んだって。逃げて来たと。――」
「へえ、面目ねえが、あの体で責められたんじゃ命が保たねえような気がしやして。……」
「いい若え者が何て意気地のねえ話なんだ。どんな体で責められたか知らねえが、相手はたかが女じゃねえか。女に負けてのめのめ逃げ出して来るなんざ、当時彫師の名折ンなるぜ」
「ところが師匠、お前さんは相手を見ねえからそんな豪勢な口をききなさるが、さっきもいった通り、女はちょうど師匠が前に描きなすった、あの北国五色墨ン中の、てっぽうそっくりの体なんで。……」
「結構じゃねえか。てっぽうなんてものは、こっちから探しに行ったって、そうざらにあるもんじゃねえ。憂曇華の、めぐりあったが百年目、たとえ腰ッ骨が折れたからって、あとへ引くわけのもんじゃねえや。――この節の若え者は、なんて意気地がねえんだろうの」
背の高い、従って少し猫背の、小肥りに肥った、そのくせどこか神経質らしい歌麿は、黄八丈の袷の袖口を、この腕のところまで捲り上げると、五十を越した人とは思われない伝法な調子で、縁先に腰を掛けている彫師の亀吉を憐れむように見守った。
亀吉はまだ、三十には二つ三つ間があるのであろう。色若衆のような、どちらかといえば、職人向でない花車な体を、きまり悪そうに縁先に小さくして、鷲づかみにした手拭で、やたらに顔の汗を擦っていた。
歌麿は「青楼十二時」この方、版下を彫らせては今古の名人とゆるしていた竹河岸の毛彫安が、森治から出した「蚊帳の男女」を彫ったのを最後に、突然死去して間もなく、亀吉を見出したのであるが、若いに似合わず熱のある仕事振りが意にかなって、ついこの秋口、鶴喜から開板した「美人島田八景」に至るまで、その後の主立った版下は、殆ど亀吉の鑿刀を俟たないものはないくらいであった。