TRENDIA CLASSIC

地方主義篇

福士幸次郎

1 / 23

最初の時代

眞青な海のうへに夏のやうでもなく、秋のやうでもなく、慥かに春の日がその華かさが更に、烈しいとでも言ひたい位の正午の光を受けて、北海道通ひの蒸汽船が二艘、遙か遠くを煙りを吐いて走つてゐる。わたしは今にその玩具のやうに小さいながら、黒びかりする船の姿と、吃水面際の赤い彩り、薄くたなびいた煙り、またはこれ等一切を取りまく、春光のもとの明色の濃い海の青を、三十何年來幻のやうに思ひ泛べられる。

十五の時には黒い夏の日本海が十間ばかり白い泡を吐いて、無人の岩くれ立つた磯を打つのを見た。岩の間には淡色な撫子や、しをらしい濃紫の桔梗が咲いて居り、磯を離れて半丁ばかりのところに、屏風のやうに屹立した斷崖の上には、もう秋の口らしい蜩が鳴いてゐた。これはまだ郷里の中學にゐた頃、ひと夏その地方の西海岸を廻つた時の印象であつた。

二十の年には、その頃もう東京に來てゐた時分だが、夏の眞盛り時、房州海岸を半月あまり旅をして、北日本海の海とはまるで違つてゐる、緑の濃い、明色な太平洋の海を椿の樹々のあひだから眺めた。

だが日本海と格別ちがつたこの冬眞中にさへ暖かく明るい大洋も、あのわたしが三十何年まへ山裾の城下市から、十何里はなれた港へゆく途中、うまれて初めて見た耀かしいばかり綺麗な、濃青な海の色あひには及ばない。その時の汽船が北海道通ひの船だといふことを知つたのも、それはも少し年とつてからである。蒸汽といふものだといふことを知つたのも、あとでのことである。更にそれが海といふものであるといふことも、まだ齒のやつと生えかけたばかりのその時のわたしには、わかつてゐたことでは無い。ただわたしはそれを沙漠のなかの映像ででもあるかのやうに、一生涯わすれ得ない美しい極彩圖、この世に生を享けて以來最初の神祕な記憶、その一瞬間から永いのちのちまで蠱惑する「夢」として殘されたのである。

福士幸次郎の他の作品