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TORENDIA

新しい生

本文約3,900字 ・ 読了時間 約8分

あらすじ(AIが作成しました)

人生の渦中にありながらも、世俗の欲や束縛に囚われない金剛不壊なる心の保持を綴る随筆である。著者は、移ろいゆく表面的な事象の奥深くにこそ真実があると説き、芸術や人生に対峙する際には、表層ではなく一歩奥にある深淵に触れる必要性を論じる。さらに、利根川や梅の風景描写を交えつつ、破壊と建設を繰り返す人間世界の変転と、時代に翻弄されず自らの内面を追求し続けることの重要性について、静かな省察を積み重ねる。

田山録弥

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🎧 新しい生 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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吾々はある意味に於ては、即かなければならない。ある意味に於ては、離れなければならない。しかし、吾々は即くばかりで生きてをられるものではない。また離れるばかりで生きてをられるものではない。即くと同時に離れがあり、離と同時に即がある。これが即ち吾々である。あらゆる矛盾があり、あらゆる撞着のあるのが即ち吾々である。更に言葉を更へて言へば、大きい心ほど、自然に近い心ほど、さうしたあらゆる矛盾したものをその中に包含して更に不自然を感じないのである。ところが、これを一度抽象して思想にすると、いくら説明してもさうした細かい心の中には、どうしても入つて行けなくなる。従つて、傍観と言へば、本当に世の中を離れて了つたもののやうに言ひ、観察と言へば、自分一人を人間の中から離して来たやうに言つて了ふのである。傍観は決して単なる傍観であり得ないことを知り得ないのである。また傍観にも非常に度数があつて、そのある者に至つては、全く人生と相即いたと言つても差支ない位のものである。

即きすぎたのがいけないやうに、離れすぎたのもいけないのである。であるから、実際の人生の渦中にあるものには、貪著を戒め、遁世の道にあるものには、欲に近づくことを勧めるといふのが、一番本当のことである。そして、この権衡は、常に平均を保つやうに――時には際立つた上下動があるにしても、それが全く顛倒しないやうによく平均を保つてゐるといふことが、最も必要であらうと思ふ。

表面にあらはれたものの一歩奥を見ることの出来るものでなければ、とても、芸術を語ることは出来ない。否、芸術ばかりでない、人生をも知ることが出来ない。他をも知ることが出来ない。否、さういふものは、本当に自己の如何をさへ知つてゐないものだと言つて差支ない。

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