TRENDIA CLASSIC

新しい生

田山録弥

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吾々はある意味に於ては、即かなければならない。ある意味に於ては、離れなければならない。しかし、吾々は即くばかりで生きてをられるものではない。また離れるばかりで生きてをられるものではない。即くと同時に離れがあり、離と同時に即がある。これが即ち吾々である。あらゆる矛盾があり、あらゆる撞着のあるのが即ち吾々である。更に言葉を更へて言へば、大きい心ほど、自然に近い心ほど、さうしたあらゆる矛盾したものをその中に包含して更に不自然を感じないのである。ところが、これを一度抽象して思想にすると、いくら説明してもさうした細かい心の中には、どうしても入つて行けなくなる。従つて、傍観と言へば、本当に世の中を離れて了つたもののやうに言ひ、観察と言へば、自分一人を人間の中から離して来たやうに言つて了ふのである。傍観は決して単なる傍観であり得ないことを知り得ないのである。また傍観にも非常に度数があつて、そのある者に至つては、全く人生と相即いたと言つても差支ない位のものである。

即きすぎたのがいけないやうに、離れすぎたのもいけないのである。であるから、実際の人生の渦中にあるものには、貪著を戒め、遁世の道にあるものには、欲に近づくことを勧めるといふのが、一番本当のことである。そして、この権衡は、常に平均を保つやうに――時には際立つた上下動があるにしても、それが全く顛倒しないやうによく平均を保つてゐるといふことが、最も必要であらうと思ふ。

表面にあらはれたものの一歩奥を見ることの出来るものでなければ、とても、芸術を語ることは出来ない。否、芸術ばかりでない、人生をも知ることが出来ない。他をも知ることが出来ない。否、さういふものは、本当に自己の如何をさへ知つてゐないものだと言つて差支ない。

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