一室
本文約2,500字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
露天市場を訪れた男たちは、李の案内で支那の芸者屋を訪れる。狭く殺風景な室に落胆する一行だったが、胡弓の伴奏で妓が歌い始めると、その哀愁を帯びた美しい旋律に心を奪われる。彼らは汚れた環境を忘れ、その歌声が持つ肉体的で蠱惑的な力に身を委ね、次第に名状しがたい感情に浸っていく。本作は、異国の場末の室内で繰り広げられる、歌と芸術がもたらす情動的な体験を描く。
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「行きますか?」
片語の日本語でかう李が言ふと、
Hは、
「何うします?」と言つて私の方を見た。
「ちよつと見るだけ見たいんだが、さういふわけには行きませんか」
「それは行きますとも……」
「買つて見るなどといふ興味は無論ないんですから――」
「好う御座んす……」
Hはブロオクンな支那語で何か頻りに李に話した。李も手真似をして頻りに何か言つてゐたが、やがてそれが飲み込めたといふやうにして点頭いて見せた。
自動車は私達をのせて動き出した。それは露天市場を見物に行つた帰途であつた。狭い小崗子の通りの方へと私達は向つて行つた。
「支那の妓は何うも日本人には向きませんな……」
これはTだ。
「そんなことはありますまい。廉くつて、親切で、一度はまり込むと、生涯忘れられないといふぢやありませんか?」
「さういふ人もあるかも知れませんけれども、何うも汚なくつていやだね。不愉快だね。H君は何うだえ?」
「僕もイヤだね?」
「しかし、それは始めの中だけでせう。深くなれば、同じことでせう。色恋は汚ないものぢやないですか? また汚ない方が好いつていふぢやないですか?」
「変態性慾の方ならさうかも知れないでせうけれど――」
私達はそのまゝ黙つた。
自動車はいつか細い狭い通りを此方から向うへ抜けやう抜けやうとして努力してゐた。庇の低い混雑した店屋が暫し続いたかと思ふと、今度は高い塀のやうなものがあらはれて、それがずつと狭斜らしい感じのする巷路へと入つて行つた。
ある一構への家屋の前で自動車はぴたりと留つた。李を先きに皆なは下りた。
私の眼には、中庭を二階で囲つたやうな家が映つた。入口までずつと石を敷きつめたやうな家が映つた。狭斜は狭斜でも、下等なところらしく、入口が二たところもあつて、その上のところに妓の名の書いた札のかかげられてあるのを私達は見た。一つは張鳳と書いてあつた。もう一つの方は張飛郷と書いてあつた。見事な小楷だつた。
「女郎屋かね? こゝは?」
私は訊いた。
「いや、芸者屋です――」
「ちよつと女郎屋のやうな感じがするぢやないか」
こんなことを言ひながら、私達は李のあとについて、その手前の張飛郷と書いてある方の家へと入つて行つた。