自他の問題
労資問題も自他の問題である。細かい心の問題である。千古常に解決に苦しんでゐる問題である。そしてこれが物質的解決に近づいて行けば行くほど、問題は明快になつて行くけれども、同時に、自他の間を滑かに廻転させて行つてゐる熱のやうなものが次第に冷めたくなつて行く恐れがある。一体、労資に限らず、心の問題は細かいものである。矛盾に富んだものである。時には感情に、また時には意志に支配され勝ちなものである。それを、きつぱりと抽象的な思想で解決しようと言つても、それはちよつと難かしい註文だと私は思つた。
所謂社会
『個』と言へば個人、『全』と言へば社会、唯、かう簡単に考へてゐる人が多い。それではとても私の言つたことがわかりやう筈がない。私の意見では、『個』の中に『全』があるのである。『全』の中に『個』があるのである。そして所謂社会といふことは、その『個』の表面的、または部分的集合にすぎないものを指してゐるのである。
集合といふこと
集合と言ふことは、問題を益々抽象的にしてゐるものである。従つて多くの『個』の集合である社会が、常に抽象的、妥協的になるのも止むを得ないことであるかも知れない。それは社会は『個』のあらはれであるといふことは出来るかも知れないけれど、完全な『個』、即ち人間が孤棲した時の『個』とその『個』とではそれは同じであるといふことは出来ない。社会に於ける『個』は、抽象された『個』であり、妥協されたる『個』であり、また更に心理の鈍くなつた『個』であるといふことを知らなければならない。
孤棲状態の心理
人間の孤棲状態の心理と同じ心理を社会が持つやうになるといふことは、それは不可能なことではあるまいか。
箇に近い全
次第にその『個』に近い『全』が求められてゐるには相違ないけれど、また、さういふ風に、社会といふものゝ心理が、細かに、具象的になつて来る時代があるかも知れないけれども――しかも、『個』の心理と同じまでに進んで来るといふことは、それは夢に近い空想にとゞまつてゐはしないだらうか。
独でゐる時の心