TRENDIA CLASSIC

黒猫

田山録弥

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知識は堆積し且つ貯蔵して置くことが出来るが、芸術にはそれが出来ぬ。何故なら、芸術は飽くまでも刹那的で且つ醗酵的であらねばならないからである。

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曾ては、かういふことを人も言ひ自分も言つた。四十、五十になつたら、ちつとは世の中のこともわかるだらう。少しはすぐれたものも書けるだらうと。想像は全く反対であつた。経験などは決して貯めて置くことの出来るものではなかつた。たとへ貯めて置いたにしても、それは教訓話ぐらゐのものにしか役に立たなかつた。

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絶えず芸術的気分の醸されてゐるところにのみ、また絶えず燃焼的態度を持してゐるところにのみ、芸術の黒猫は来て坐る。そしてその空気が稀薄になれば、いつでも足音も立てずにそつと出て行つて了ふ。

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M・K君は言つた。『文章とか、技巧とかは何うでも好いから、もつと力の籠つた本当な素朴なものは出ないでせうかな……。小利口な面白半分の作にはもうあきあきしました』私も至極同感だ。

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私はまたある人に言つた。『君も酒仙だし、僕も曾つてその一人だつたから、よく飲み込めると思ふが、あの葛西善蔵の『蠢く者』はあれは管ぢやないか。酔払ひが管を巻いてゐるんぢやないか。面白いと言へばそれが面白いのだが、あれからアルコール中毒をさし引けば、ゼロになりはしないかね? ……しかし、それも僕が酒仙でなくなつたのでそれでさういふことをいふのかも知れないけれどもね?』

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酒をよして一年ほどした後で、私は自分で自分に言つた。『不思議な気がするな。今まで自分の書いたものは、皆な酒が書かせたのだな? ……あのセンチメンタルは皆酒が言はせたのだ……。本当の自分ではなかつたのだ……』果してその本当の自分の方が好いか酒が書かしたものの方が好いか、それは自分にもちよつとわからないが、兎に角さう思つたことを私は繰返した。

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四月の小説では、何と言つても、あの島崎藤村の『三人』を私は取る。あの若々しさは? あの水々しさは?

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