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TORENDIA

黒猫

本文約2,000字 ・ 読了時間 約5分

あらすじ(AIが作成しました)

芭蕉の句を引いて芸術の不思議さを説き、理解や知識を拒絶してつかみどころなく変幻自在に逃げ出す芸術の正体を黒猫に見立てて論じる。真面目さや宗教的傾倒、さらには敗徳や堕落の中にも顔を出すものの、決してそこに留まらない芸術の性質を考察する。自由で不羈なその本質を捉えようと足掻く芸術家の苦悩と、終わりなき探求の道のりを描く。

田山録弥

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🎧 黒猫 / 朗読音声: VOICEVOX:青山龍星

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この作は非常に面白い。しかし何故面白いのか。何故かう心を惹くのか。さう思つて考へて見ても、何うしてもその理由がわからないやうな場合がよくある。例の芭蕉の『昼見れば首筋赤きほたるかな』などもその一つである。非常に面白いけれど、その面白い理由が、説明しようとしても容易に出来ない。(不思議なもんだなア、芸術は?)かう私は思はずにはゐられなかつた。

『かへつて、説明出来ないやうな芸術の方が、本当なんぢやないんでせうか。すぐ見透かされないやうなのが好いんぢやないんでせうか』

かうある人は私に言つた。

『さア、さうはつきり言つて了つて好いか何うかわかりませんけれど――』

かう言つて私は深く考へて見た。実際、さうばかりは言へない。説明の出来るものにすぐれた芸術はないことはない。決してないことはない。それからまた、一方から考へて見ると、時の力がその作を平凡にして了ふものもある。また、その反対に、いつまで経つても、新しく Moderne であるものもある。そしてその理由を考へる段になると、いつも大抵はわからなくなつて了ふ。今更不思議なのは芸術だ……。

知識の進んで行くことを芸術は要求する。あらゆるものを知ることを、あらゆるものに触れることを、またあらゆるものを理解することを芸術は我々に要求する。しかもその要求通りに知識が進み理解が出来て来ると、いつの間にか、その芸術はもう此処は俺のゐる場所ではないと言つて、さつさと遁げ出して行つて了ふ。何うして好いかわからないのが芸術である。何うしたら、本当に芸術が掴めるのかわからない……。

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