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TORENDIA

雑事

本文約1,900字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

金銭や流行のために妥協して執筆する通俗的な作家や文壇の現状を批判し、真摯な創作姿勢を保つことの重要性を論じる。さらに、震災後の変容を遂げる文壇の状況や、同人雑誌の乱立、英雄や凡人の議論といった当時の世相を鋭く観察し、自らの信念を貫く芸術家の姿勢を綴る。多くの同時代の作家の作品に対しても言及し、作品の本質的な深みと作者自身の熱情が欠けていることを指摘しながら、文学の在り方について独自の考察を収める。

田山録弥

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🎧 雑事 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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大衆文芸でも、通俗小説でも、作者が熱を感じて書いてゐるものなら、まだ救はれることもあらうが、さういふものがはやるからとか、金になるからとか言つて書いてゐるのでは、とても駄目であらう。

それはどんな中からでも、すぐれた才能を持つものは、その自己を光らせることが出来るとはいへよう。沙翁だツて、西鶴だツて、黙阿弥だツて、皆さうである。時代の空気もそれを誘つたには相違ないが、その根本は作者にある。これはその通りだ。しかし少くとも作者にはあれが真剣であつたのである。自分のやるべきことを十分にやつたのである。熱があつたのである。はやるからとか、金になるからとかいふことばかりで好い加減に書いたのではない。そこを考へて見なければならない。

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今のやうに、低級な雑誌が売れ、通俗ものが売れ、新聞でもそれを歓迎してゐるのでは、まじめに書くものは、次第にわきに寄せられる形になる。書を著して名山に蔵しなければならなくなる。世間に追随したものに言はせれば、それはお前が年を取つたのだ、時代おくれになつたのだといふかも知れないが、それでも構はない。守るべきものは守らなければならない。自分の好いと思つたことは飽までもやらなければならない。曾てさういふことをある合評会で言つて、文壇の人達に仙人だと言はれたが、仙人結構だと私はいふ。

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去年から今年にかけて、これはといふものはなかつた。中堅がことに振はなかつた。どうしたのだらうか。早くも種切れになつたのだらうか。つまらなく新聞の通俗ものなどを書いてゐるからではないか。本格小説を書くならもつと本当にまじめになつて書け。作者の頭に碌々その人物も光景も映つてゐないのに、その日暮しで書いたつて何の役に立つ。反古ばかりをつくつたことをあとで悔いたとて及ばない。

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