自然
本文約3,800字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
地震という自然現象を契機に、人間の主観と客観、社会と個の関係を深く考察する。震災を天譴と捉える心理や社会中心の思想が台頭する動向を分析し、人間が自然の法則から切り離されている現状を指摘する。宗教的な純粋さや主観への偏重が孕む危険性に警鐘を鳴らしつつ、個を軽視しない客観的な視点を保つ重要性を論じる。自然と同化し、そのリズムと調和して生きることこそが、人間にとっての理想的なあり方であることを綴る。
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一
地震といふものも矢張自然のリズムの動き方のひとつであらう。その根本は私達の心のリズムに続いてゐるのであらう。止むに止まれない自然のあらはれであらう。
二
天譴だとか、天譴でないとか、いろいろなことを言つてゐるが、それは各自の主観の問題だから、何うにでも感じられるであらう。事実、天譴と感じたものも沢山にあるだらう。そしてさう感じたものを、自分がさう感じないからと言つて、批評したりわる口を言つたりすることは出来ないだらう。もしさう言つて冷笑してゐるものがあらば、それは却つてその人の内容が見透されるであらう。さうかと言つて、私とても客観的に天譴を認めるものではないのは言ふまでもないが――。
三
難かしい理窟はない。ちよつと考へて見てもすぐわかる。今まで贅沢をしてゐたものが着た切りの焼け出されになれば、余りに平生贅沢をしてゐたから、その報ひだぐらゐには思ふに違ひない。またさうは思はないまでにも、つまらぬ虚栄に捉へられてゐたといふぐらゐの後悔はする。また、平生わるいことをしてゐたり、心に暗い影を持つてゐたりしたものは、一層深い恐怖と戦慄とを感ずるに相違ない。そしてそれは何うすることも出来ない事実である。尠くともさういふ人達に取つては、今度の震災は天譴であつたに相違ない。
四
また、今度のことで、自然といふものの恐しいことを説いたり、近づくことの出来ないものであることを言つたりしてゐるものもあつたが、さうは私は思はない。自然は何処まで行つても自然であるといふ気がする。自然は恐るべきものでもないが、さうかと言つて、狎るべきものでもないといふ気がする。自然は慈母であると共に厳父である。否、さういふ考へ方をすべて超越してゐるのである。
五