一 読書と実生活
若い人達の為めに、小説を書くに就いて、私の経験した作法見たいなものを書いて見る。
長年私は投書を見て来てゐるので、諸君が何ういふ作をするか、何ういふ風に小説といふものを考へてゐるか、また何ういふ風に無益の努力をやつてゐるかといふことを知つてゐる。私の見たところでは、諸君の小説を書く態度は浮気である。移気である。ちょいと[#「ちょいと」はママ]面白いから書いて見る位のところである。そして二三度やつて見て、旨く行かないと、すぐやめて了ふ。
小説は書簡文とか、叙述文とか、実用文とか言ふものゝやうに、この世の中を渡るために必要上勉強し修業するものではない。また小説は学者のやる学問見たいなものではない。この世の中の直接実用には何等の交渉がない。従つて小説と言ふものは総ての学術と言ふものからは全く独立してゐる。それだけ天地が広く茫漠としてちよつとつかみにくいやうなものである。又それだけうはの空では出来ないものである。一生の精神と努力とを籠めても、それでも出来るか何うかわからぬものである。
私など書生時分に、前途を悲観して、とてもこれでは駄目だ。こんなことでしやうがない。かう何遍思つたか知れない。しかしその度に、『仕方がない。これより他に自分のすることがない。自分の性情に適したことがない。出来るか出来ないか、のるかそるか、自分の一生を棒に振るかも知れないが、兎に角やつて見やう』かう言つて机にかじりつくやうにして本を読んだり筆を執つたりして来た。誰に聞いてもわかるであらうが、兎に角、小説を書くと言ふことは楽なことではない。又、他の学術や事業に比しても、一層の努力と一層の精進とを要することは事実である。
であるのに、投書などをする人達は、多くは小説を道楽視する。楽に面白く書けるものと思ふ。労少くして功多きものと思ふ。その作が多くは浮はついてゐて、吹けば飛ぶやうなものが多いのも止むを得ない。