TRENDIA CLASSIC

真剣の強味

田山録弥

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今度の大戦の印象の多い中で、私は一番真剣とか一心とか言ふものゝ力の強いことを味はつた。ドイツの強味は、真剣の強味であり、一心の強味である。あらゆるものを捨てあらゆるものを犠牲にした最後に起つて来た強味である。従つてこれに対して、人道的の非難を加へたとて、それは加へる方が間違つてゐる。行くところまで行かなければならない。やるところまでやらなければならない。いかなることを犠牲にしても……。

人道的非難に対して、ドイツが顧慮の念を少しでも生じたならば、それは既にその内部の力の衰へたことを暗々裡に意味してゐる形になる。

ドイツの態度の中ぶらりんでないのが好い。いかにも張り詰めてゐる。決して左顧右眄しない。独逸文学にあらはれた暗さが、また力強さが、軽い文化に捉へられないやうな魂の辛さが、今度の大戦にも名残なくあらはれてゐる。流石はゲエテを有し、シルレルを有し、レツシンクを有し、ヘツベルを有し、ハウプトマンを有した国民だと思はせるやうなところがある。

ロシアのレニン達のやつたことも、意味のあることではあるが、いかにもロシアらしくつて面白いが、とてもあゝしたことで、ドイツの社会党の心の横断などは出来さうにも思はれない。ドイツはもつと深い。そしてもつと堅実である。もつと第一義的国民性を確とつかんでゐる。昔、深林の中から生れた暗い強い気分が、今日でも歴然として残つてゐるのを私は見る。

ロシアの文学を見てもわかる。ロシアにはだゝつ子が多い。トルストイもその一人である。ドストイフスキイもある意味に於いて矢張その一人である。ゴルキイもさうである。チヱホフも消極的ではあるが、矢張さうである。ロシア文学の中には、原始的の魂の閃耀はあるが、意と智と情との完成を認めらるべきものはない。魂の自由はあるが、魂の緊張はない。また魂の奮躍はあるが、魂の本当の圧迫がない。意と智と情との完成を経て来ない原始的の魂が、意と智と情とを完成した魂のために粉韲せられるのは止むを得ないことだ。

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