TRENDIA CLASSIC

早春

田山録弥

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風邪を惹いた床の中で『蜻蛉日記』を読む。学生時代にもよくひつくり返したものだが、今になつて読むと、いろいろなことがはつきりとわかつて面白い。何の事はない、それはその時分の心境小説だ。やれ源氏、やれ枕の草紙と言つて、普通はそれ以外に何もないやうに言つてゐるが、かういふ心境小説が、しかも時の大臣の思ひものの書いた心境小説が残つてゐるとはいかにしても不思議だ。私はそこからいろいろなものを捜し出した。

私はそこから一番先にやさしい女の心を、今と少しも変つてゐない女の心を捜し出した。貞淑な心を捜し出した。男は相変らず箒で女はいつも貞淑であることを、またその女の貞淑は半分以上子供のために捲き起されたものであることを捜し出した。つゞいて私は今の文壇にある心境小説よりも一層深く細かく突込んで書いてあることを、ロオカルであることを、大臣の思ひものであつても、決してまけてはゐずに、男の我儘を十分に懲らしめてゐることを、勝手に振舞つてゐることを、決して奴隷のやうになつてゐないことを捜し出した。私は愉快だつた、私は女がその恋の苦しさに堪へずに、をりをり家を出て、山寺に参籠するあたりの条を読んで、恋するもののつらさに深く同感した。男と女の違ひこそあれユイスマンスの『途上』をそのまゝそこに見出したやうな心持さへした。

矢張好いものは残るな! と私は思つた。本当のものといふことを私はよく口にするが、つまりこれだな! と思つた。心境小説が好いとか、本格小説でなくてはいけないとか言つて議論するがものはない。本当でさへあれば好いのだ。止むに止まれず書いたものでさへあれば好いのだ。

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