一
知多半島の東浦から西浦に越えて行く路は、今までにないほどの興味を私に誘つた。『知多半島ツて、こんなところかなア、こんなに面白い地形とは思はなかつた』私はかう独語した。
私は東浦の河和から車で越した。低山性の複雑した丘陵が、時には東を開き、南を開くといふやうな形を見せてゐたが、次第にのぼるにつれて、北も西もすつかり眼中に落ちて来た。その地平線の濶さ! 東浦も見えれば、西浦も見える。南の方には伊勢湾が開けて、その向うに朝熊が高くなつて見えてゐる。伊良湖の鼻と神島と相対してゐる形もよく見える。私はこの他に何処にこれほど濶い、これほど変化に富んだ大きなシインを見たであらうか。否、更に北には遠く常滑の土管工場が黒い煤烟を靡かせて、遙かに濃尾平野をさへ想像させたではないか。
『峠に行きますと、寒くなりますよ』
かう車夫は言つたが、果してその通りであつた。海を越した鈴鹿山脈には、雪が白く、右に偏つて尨大な伊吹山の半ば白くなつてゐるのが手に取るやうに見えた。
二
車夫は行く行く話した。
『そら、そこに、向ふに、山が見えるでせう、あれが、内海の秋葉山です。あれで、知多では、一番高い山です。何でも、義朝さまは、あそこで舟から上つて、用心に用心して野間に行つたんださうです。今でも、その人達の通つたあとがあります……。さうですな、内海から、野間まで二里位あります』
私の目の前には、遠い昔が浮んだ。京都を落ちて、美濃の大炊の宿から、ひそかに頼るべからざる人を頼りにして、一行七八人の同勢が、船で此方へわたつて来たさまが想像された。
尠くとも、義朝の悲劇は、暗い心の悲劇として日本の歴史の中に指を屈しても好いと私は思ふ。それに、湯殿で殺されたといふ形が面白い。それに、数年経つて、その子の頼朝がわざ/\そこにやつて来て、大法会を行ふと共に、長田父子を磔殺した形が面白い。
三