大華表の下には既に舟の支度で出来て、真中の四布蒲団の上に、芝居で使ふやうな小さな角な火鉢が置かれてあるのをかれは目にした。
それは最早夕暮に近かつた。向うの長い丘には、まだ夕日の影が微かにさし残つてはゐたけれども、冬の日脚の短かさ、それも忽ち消えてなくなつて了ふであらうと思はれた。かれは急いで船に飛び乗りながら、
『日のある中に、潮来までは行けるかね?』
『さうですな。』まだ比較的若い船頭は、船尾のところで徐かに綱を解いてゐたが、仰ぎ見るやうにして、『何しろもうお天道さまがあんなところにゐますからな。暮れますな? 何うしても……』
『それでも半分くらゐは、明るい中に行かれるだらう?』
『さうですな。』
正木は其時は既に四布蒲団の上に坐つて、傍にあつた小ざつぱりした木綿のどてらを角火鉢の上にかけてゐた。
『好いだらう? このどてら借りて?』
『好う御座んすとも。』
船頭は素直に点頭いた。
『何しろ、この頃の寒さではね? 船はちよつと物好だつたけども、汽船が六時過ぎでなくつてはやつて来ないつていふからねえ。』
『その六時も何うだかわかりませんや。何しろ、此頃の寒さで、氷が張つちやつたでね? さつき此処に来た汽船が、いつもなら鉾田まで行つて、今夜は泊りになるだが、そこまで入れねえで引かへして来るだでな? 何うしても二時間や三時間はおくれらア……』
軽い動揺を感じたと思ふと、船はもはや岸を離れて、五六間湖上に浮び出してゐた。船頭は頻りに竿を突張るやうにした。
『えらい寒さだね? 今年は!』
正木は言つた。
『本当でさ! こんなことは、何年にもありやしませんや。わしら覚えてから始めてでさ。大正六年にも少しは張つたには張つたが、こんなぢやねえ。横利根は丸で氷で張詰めてるつていふぢやねえか?』
『汽船もその氷を壊し壊しやつて来たんだよ。』
『ぢや、おめさん、さつきの汽船で来たんだな? 鹿島さまけえ?』