TRENDIA CLASSIC

亞細亞諸國との和戰は我榮辱に關するなきの説

福澤諭吉

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近日征韓の議論新聞紙上に飛雨をなし、世人の耳目も此論題に集るを以て、我儕の論鋒を之に向けること數囘、未だ心に慊らざりしが、福澤君より此論題に關する一議論を寄るに會へり。固より社論と方向を同ふするを以て、之を掲げて本日の社論とす。

世の中の事に就き輕重大小を見分るは甚だ難きことなり。譬へば爰に一個の人あり、手足に怪我をして流血淋漓たらんには、傍の人皆是を見て驚かざる者なし。醫者よ藥よとて其手當をすることならん。されども其實は深く恐るゝに足らず、捨置くも自然に癒るものなり。又一個の人は其の容貌健なるには非ざれども、さしたる病症も見へず、唯朝夕少しく咳嗽して時々微熱を發する位のことなれば、素人の目には之を病人とも思はずして、動もすれば打捨て置くこと多けれども、其實は肺の病にして必死の期遠からず、幸にして去年の冬を過ごしたれども、今年の春に至て果して斃るゝことあり。

僅かに身體の事にても斯の如し。況や世の中の人事に於てをや。輕重大小の紛らはしくして處置を誤ること甚だ多し。故に人事を處するには外形に拘はらずして其内情を察し、内實に困難なるものを先にして之を救はざる可らざるなり。

今日我日本の有樣を太平無事として悦ぶ者は甚だ少なし。學問未だ上達せず、商賣未だ盛ならず、國未だ富まず、兵未だ強からずとて、之を憂るに非ずや。一口に云へば日本は未だ眞に開化の獨立國と稱す可らずとて之を心配することなり。此心配を抱く者は獨り政府の役人のみならず、凡そ此國に生れて國に叛くの惡心なきより以上の者は、共に此心配を與にする筈なり。此一段に至ては國内の人民、上下の別なく、華士族も平民も、目暗らも目明きも、學者も役者も、敵も味方も、異頭同心に一方に向ふことならん。

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