TRENDIA CLASSIC
両座の「山門」
評
三木竹二
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都座(明治二十九年二月)
一番目「楼門五三桐」は五幕に分る。宋蘇卿明の真宗の命に因り此村大炊之助と名乗り、奴矢田平と共に真柴久次に仕へ、不軌を謀りしが、事顕れて自尽す。その最期に血書したる片袖を画中より脱け出でたる白鷹齎し来てその子石川五右衛門に渡す。五右衛門南禅寺の楼門にあり。武智光秀に養はれしため早く真柴久吉を恨めり。遺書を見るに及びて益復讐の志を固うす。偶々久吉順礼姿となりて楼門下に来り、五右衛門と顔を見合すを幕切とす。これを読まばこの筋の評する価なきこと自ら明ならん。
九蔵の此村大炊之助は見ず。宋蘇卿最期の所は気乗に乏しく、鷹までそれにつり込まれて、四、五度も袖を落ししは、頼みがひなく見えたり。矢田平の立、長いのでは有名な方なるを、訥子の勤むることなれば、見ぬ方大だすかりなり。宋蘇卿の最期に駈け附くる所も騒がしきだけなり。
楼門の幕明には、とにかくこの座だけの大薩摩あり。幕を切て落すと花の釣枝と霞幕とに装はれたる朱塗の楼門見事にて、芝翫の五右衛門、大百に白塗立て、黒天鵞絨寛博素一天の吹貫、掻巻をはおり、銀の捻煙管を持ち「春の眺は」の前に「絶景かな/\」と云ふ句を加へ「眺ぢやなあ」までを正面を切て云ふ処立派なり。しかし全く春の眺に感服してこの文句が出たとは見えず。とひよを聞きて、ぎつくりしてあたりを見廻すも、五右衛門にはあるまじき仰山なる仕草なり。袖を取りて読むくだりは、例のめちやめちやにて、宋蘇卿を「そうそうけい」と云ふなど大愛嬌なり。「おのれ久吉、今にぞ思ひ、待て居れ」にて、左の手に片袖を攫み、右の手にて我左の袖をかかげしまま、左の二の腕を握り、右足を高欄へかけ、きつと見え、この科にてせりあげになる所もまた立派なり。ただ寛博の前を行儀よく合せたるは拡げてもらひたかりき。