メメント モリ
本文約9,400字 ・ 読了時間 約19分
あらすじ(AIが作成しました)
西洋古来の「死を忘れるな」という戒告に対し、現代人は死を恐れて逃避する「死を忘れよ」をモットーとしている。科学技術の発展を促した「生の哲学」が袋小路にある今、死と生が相即する「死の哲学」が求められている。道吾一家弔慰の公案を手引きに、生と死の自己矛盾を突破し、死から復活する真実の生と実存協同のあり方を論じる。
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一
西洋には古くからメメント モリ Memento mori(死を忘れるな)というラテン語の句がある。ふつうには、例えば髑髏(しゃれこうべ)の如き、人に死を憶起させるものを指してかく呼ぶのであるが、しかしその深き意味は、旧約聖書詩篇第九〇第十二節に、「われらにおのが日をかぞえることを教えて、知慧の心を得さしめたまえ」とあるのに由来するものと思われる。けだし人間がその生の短きこと、死の一瞬にして来ることを知れば、神の怒を恐れてその行を慎み、ただしく神に仕える賢さを身につけることができるであろう、それ故死を忘れないように人間を戒めたまえ、とモーゼが神に祈ったのである。その要旨がメメント モリという短い死の戒告に結晶せられたのであろう。ところでこの戒告は、現代のわれわれにとって、今述べた詩篇の一節に含まれて居たような内容とはだいぶん違った一層深き意味をもつごとくに思われる。なぜならば、今日のいわゆる原子力時代は、まさに文字通り「死の時代」であって、「われらの日をかぞえる」どころではなく、極端にいえば明日一日の生存さえも期しがたいのである。改めて戒告せられるまでもなく、われわれは二六時中死に脅かされつづけて居るのだからである。しかしそれではわれわれは果して、この死の威嚇によって賢さを身につけ知慧の心を有するに至ったであろうか。否、今日の人間は死の戒告をすなおに受納れるどころではなく、反対にどうかしてこの戒告を忘れ威嚇を逃れようと狂奔する。戒告を神に祈るなどとは思いも寄らぬ、与えられる戒告威嚇の取消しを迫ってやまないのである。例えば毎日のラジオが、たあいない娯楽番組に爆笑を強い、芸術の名に値いせざる歌謡演劇に一時の慰楽を競うのは、ただ一刻でも死を忘れさせ生を楽しませようというためではないか。「死を忘れるな」の反対に「死を忘れよ」が、現代人のモットーであるといわなければなるまい。