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TORENDIA

南北アルプス通説

本文約5,400字 ・ 読了時間 約11分

あらすじ(AIが作成しました)

飛騨山脈、木曽山脈、赤石山系の総称である日本アルプスについて綴る。赤石山系を南アルプス、木曽山脈を中央アルプス、飛騨山脈を北アルプスと定義し、地質や地形の相違から生じる山容や積雪量、高山植物、動物相などの特徴を対比させる。北アルプスは氷河の跡であるカールや高山植物、温泉に恵まれる一方、南アルプスは広大な原始林や鹿の生息地として独自の趣を持つことを論じ、それぞれの自然の特色を詳述する。

木暮理太郎

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日本アルプスの名称

日本本島中部の大山脈である赤石山系、木曾山脈及び飛騨山脈は、今日普通に日本アルプスの名で呼ばれている。この名は明治の初年に主として飛騨山脈に足を踏み入れた外国人によって創唱されたものであることは疑いないが、その何人であるかは明らかでなかった。当時飛騨山脈の一部に足跡を印した外人には、ガウランド氏あり、サトウ氏あり、チャムバレーン氏あり、アトキンスン氏あり、その他なお三、四の人がある。中にもガウランド氏は明治十年前後に、飛騨山脈の立山、爺岳、五六岳、槍ヶ岳及び乗鞍岳や御岳等に登り、明治十三年十二月にアジヤ協会で「日本に於る氷河時代の遺跡」と題する講演を試みたミルン氏に、殆んどその講演の資料全部を供給した人である。予は曾て『日本アルプス』の著者小島君より、『ジャパニーズ・アルプス』の著者ウェストン氏が同君に、日本アルプスの命名者は実にこのガウランド氏なりと語られたということを聞いた。

日本アルプスの命名者は何人であるにせよ、それが漸く日本人の間で口にし筆にされるようになったのは、明治二十九年にウェストン氏の著『ジャパニーズ・アルプス』が出版されてから十年近くも経過した明治三十八年の頃からであって、それも最初は飛騨山脈のみに限られていた観があった。これは恐らく飛騨山脈の雪に飾られた高峻雄大なる山容を松本平から間近く仰望し得る為に、その存在が多くの人に早くから認められ、それで日本アルプスといえば飛騨山脈を意味するもののように思わしむるに至ったものであろう。然るに一般には勿論、学者の間にも日本アルプスの名を飛騨山脈に限ることに不同意の説が唱えられて、大勢の趨くところ赤石山系や木曾山脈をも日本アルプスの中に含ましむるに至ったのであるが、これは早晩しかあるべき筈のものが、その通りになったに過ぎない当然なことである。アルプスなる文字を使用することが極度に流行している今日から見れば、かような説があったということさえ、寧ろ不思議に思われるほどであろう。

日本アルプスの特色

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