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TORENDIA

私の子供時分

本文約8,500字 ・ 読了時間 約18分

あらすじ(AIが作成しました)

明治九年に沖縄で生まれた著者が、幼少期から青年期にかけての記憶を綴る。厳格ながら慈悲深い祖父との日常や、明治十二年の廃藩置県による混乱、東京へ遊学し帰郷後に若くして逝去した叔父の面影を描く。やがて著者は師範学校附属小学校へ入学し、首里へ転居して慣れ親しんだ家を離れる経験をする。中学生時代には学校での強制的な断髪をめぐる騒動に直面し、沖縄という社会の激動と自身の成長を振り返る随筆である。

伊波普猷

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一

私の子供の時分のことを書いてくれとのことであるが、当時の事はおおかた忘れてしまって、記憶にのこっている部分はいたって少い。私の生れたのはもう三年経つと沖縄が廃藩置県になるという明治九年のことだ。その頃の沖縄といえば、熊本鎮台の分遣隊が古波蔵村に置かれるやら、松田がやって来るやらで、随分物騒であったろうが、残念ながら当人はそんなことなぞ覚えていようはずがない。

物心が付いた時分、私の頭に最初に打込まれた深い印象は私の祖父さんのことだ。私の祖父さんは、十七の時、家の系図を見て、自分の祖先に出世した人が一人もいないのを悲しみ、奮発して支那貿易を始め、六、七回も福州に渡った人だ。私が四つの時には祖父さんはまだ六十にしかならなかったが、髪の毛も鬚も真白くなって、七、八十位の老人のようであった。いたって厳格な人ではあったが、また慈悲の深い人であった。今日でいう胎内教育のことなぞもよく心得ていて、私が母の体内に宿ると、母の食物やかれこれに非常な注意を払ったということだ。私が生れ落ちて乳母をやとうという時にも、十名位の応募者を集めて、身元や体質や乳などを試験した上で採用したとのことだ。

私は生れてから何不足なしに育てられたが、どうしたのか、泣くくせが附いて家の人を困らせたとのことだ。

いつぞや私が泣き出すと、乳母が私を抱き、祖母さんは団扇で私を扇ぎ、お父さんは太鼓を敲き、お母さんは人形を持ち、家中の者が行列をなして、親見世(今の那覇警察署)の前から大仮屋(もとの県庁)の前を通って町を一周したのを覚えている。もう一つ家の人を困らせたことがある。それは私が容易に飯を喰べなかったことだ。他の家では子供が何でも喰べたがって困るが、私の家では子供が何にも喰べないで困った。そこで私に飯を喰べさせるのは家中の大仕事であった。ある時祖父さんは面白いことを考え出した。向いの屋敷の貧しい家の子供で私より一つ年上のワンパク者を連れて来て、私と一緒に食事をさせたが、私はこれと競争していつもよりたくさん喰べた。その後祖父さんはしばしばこういう晩餐会を開くようになった。

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