土塊石片録
本文約4,100字 ・ 読了時間 約9分
あらすじ(AIが作成しました)
浦添城址で発見された古瓦や八重山にある大和墓の調査を通じ、琉球と日本本土との歴史的交渉を考察する。古謡「おもろさうし」に詠まれた旅の目的や、墓から出土した煙管を根拠に、七百年前の平家落人伝説の真偽を検証する。言語学や考古学の手法を用いて、日琉貿易の盛況ぶりや、琉球諸島に鎌倉時代の言葉が遺る理由、平氏にまつわる伝承が当時の島民の生活文化に与えた影響について綴る。
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上
私はかつて記紀万葉などにある七世紀前の大和言葉が今なお琉球諸島に遺っているという事を例に引いて、九州の東南岸にいた海人部の一氏族が、紀元前に奄美大島を経て沖縄島に来たという事を言語学上から証明したことがある。また七世紀の頃、南島人が始めて大和の朝廷に来貢した時分訳語を設けて相互の意を通じたということが国史に見えているから、分離後六、七百年も経ったために、大和言葉と沖縄言葉との間にはよほどの差異が生じたのであろうと言ったこともある。その後、沖縄の古語や諸方言を研究するに及んで、その中に『東鑑』にあるような鎌倉以前の言葉の多く這入っているのに気が付き、もしや日本本土と沖縄との交通が鎌倉時代に至って一入頻繁になっていたのではなかろうかと思って首をひねって見たが、これぞという証拠が見つからなかった。ある日『おもろさうし』の十の巻「ありきゑとのおもろさうし」(旅行の歌の双紙の義)を繙いていると、ふと「ねいしまいしがふし」というオモロが目についた。
いしけした、よう、がほう
よせつける、とまり
かねし、かね、どのよ
いしへつは、こので
かなへつは、こので
いしけ、より、なおちへ
なだら、より、なおちへ
くすぬきは、こので
やまと、ふね、こので
やまと、たび、のぼて
やしろ、たび、のぼて
かはら、かいに、のぼて
てもち、かいに、のぼて
おもいぐわのためす
わりがねが、ためす 〔十―二八〕