錢形平次捕物控
本文約13,400字 ・ 読了時間 約27分
あらすじ(AIが作成しました)
江戸の神田に住む銭形平次は、芝口一丁目の金貸・久米野官兵衛が殺された事件を知る。娘のお玉が犯人として疑われる中、お玉と親しい浪人・神山守が平次に無実を訴える。お玉の潔白を疑う周囲の証言や現場の状況に対し、平次は独自の鋭い観察眼と推論を用いて、犯人たちの隠蔽工作を解き明かしていく。
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一
「あつしはつく/″\世の中がイヤになりましたよ、親分」
八五郎は柄にもなく、こんなことを言ひ出すのです。
「あれ、大層感じちやつたね、出家遁世でもする氣になると、二三人泣く娘があるぜ」
平次は縁側に腰を掛けたまゝ、明日咲く鉢の朝顏の蕾などを勘定して居りました。まことに天下泰平の姿で、八五郎の厭世論などには乘つてくれさうもありません。
「何時の世になつたら、惡い事をする奴が無くなるのでせう。喧嘩だ、殺しだ、泥棒だ、放火だと、毎日々々惡い人間を追ひ廻して居るこちとらだつて、大概イヤになるぢやありませんか」
「惡い奴と岡つ引、考へて見ると、病氣と醫者見てえなものさ、何處まで行つても切りが無いから、宜い加減のところで十手捕繩を返上して、高野の山へでも登るとしようか。クリ/\坊主になると、額の寸が詰つて、八五郎も飛んで良い男になりさうだぜ」
平次と八五郎の掛け合ひは、相變らず無駄が多くなつて來ました。七月二十七日もやがて晝近い陽射しで、縁側に掛けてゐても汗がにじみさうです。
「ところで、親分は、昨夜の月待ちを何處でやりました」
「俺は寢待ちさ。信心氣がないやうだが、此間からの御用疲れで、宵から一と眠りしてしまつたよ」
「湯島臺から明神樣の境内、ことに芝浦高輪あたりは、大變な人出だつたさうですよ」
七月二十六日の曉方近くなつて出る月を、寢ずに待つて拜むと、三尊の來迎が拜まれるといふ俗説があり、江戸の海邊や高臺は凉みがてらの人の山で、有徳の町人や風流人は、雜俳や腰折を應酬したり、中には僧を招じて經を讀ませる者もあり、反對に幇間藝子を呼んで、呑んで騷いで、三尊來迎を拜まうなどといふ、不心得な信心者もあつたわけです。
「お前は何處に潜つて居たんだ」
「あつしは北の國で、歌舞の菩薩の張り見世を一と廻り拜んで、向柳原へ歸つて寢てしまひましたよ。月待ちと洒落るほどは金がねえ」
「罰の當つた野郎だ」
「親分、お客樣のやうですね」
八五郎は無駄話を切上げて、庭木戸を押しあけると、表口の方へ、外から廻つて行きました。