一
「親分、お早やう」
飛込んで來たのは、お玉ヶ池の玉吉といふ中年者の下つ引でした。八五郎を少し老けさせて、一とまはりボカしたやうな男、八五郎の長んがい顏に比べると、半分位しか無い、まん圓な顏が特色的でした。
「玉吉兄哥か、どうしたんだ、大層あわてゝ居るぢやないか」
明神下の平次の家、障子の隙間からヌツと出したのは、その八五郎の長んがい顎だつたのです。
「錢形の親分は?」
お玉ヶ池の玉吉は、氣拔けがしたやうに、ぼんやり立つて居ります。
「留守だよ、笹野樣のお供で、急の京上りだ」
與力筆頭笹野新三郎は、公用で急に京都へ行くことになり、名指しで錢形平次をつれて行つたのは、つい二、三日前のことだつたのです。
「そいつは弱つたな、歸りは?」
「早くて一と月先、遲くなれば來月の末だとよ、その間俺の叔母は、此處へ留守番に泊り込みだから、叔母の家に厄介になつて居る俺は、日に三度店屋物を取るわけに行かねえ、口だけは此處へ預けて、向う柳原から通つて居る始末さ」
「弱つたなア」
「何を弱つて居るんだ、錢形の親分の留守中は、憚り乍ら俺は城代家老さ、困ることがあるなら遠慮なく言ふが宜い、金が欲しいなら欲しいと――」
大きなことを言つて、八五郎はそつと懷中を押へました。その中にある大一番の紙入には、穴のあいたのが少々入つてゐるだけだつたのです。
「そんな話ぢやないよ、矢の倉で殺しがあつたんだぜ、八五郎兄哥」
「そいつは大變ぢやないか、錢形の親分程には行かないが、大概のことは俺で裁ける積りだ。さア、案内してくれ」
「さうかなア、大丈夫かなア」
玉吉はひどく覺束ながりますが、八五郎では嫌とも言ひ兼ねて、ヒヨコヒヨコと先に立ちます。
「大丈夫かなアは心細いぜ、おい、玉吉兄哥、斯う見えたつて、錢形平次の片腕と言はれた、小判形の八五郎だ」
胸をドンと叩きますが、くたびれた單衣の裾を端折ると、叔母が丹精して繼を當てた、淺葱の股引がハミ出して、あまり威勢の良い恰好ではありません。
事件のあつたのは、矢の倉の稻葉屋勘十郎。
「内儀のお角が、昨夜風呂場で、障子越しに刺され、その場で息を引取つたよ」