一
「親分、先刻から路地の中を、往つたり來たり、お百度を踏んでゐる女がありますが、ありや何でせう」
八五郎は自分の肩越しに、煙管の吸口で格子の外を指すのです。
「わけがあり相だな、お前に跟いて來た女馬ぢや無かつたのか、拂ふものは拂つて、早く歸した方が宜いぜ」
毎度のことで、錢形平次は驚く色もありません。
「冗談でせう、あつしは叔母の家から眞つ直ぐに來たばかりで、女馬も雌猫もついて來る筈はありませんよ」
「はてな、それぢやワケがありさうだ、騷ぐと逃出すにきまつてゐるから、お前はそつとお勝手へ行つて、お靜にさう言つて、誘ひ入れて見るが宜い」
「成程、女は女同士だ」
「良い男の八五郎が、うつかり顎を出すと、大概の女は膽をつぶす」
そんな事を言つて居るのを、狹い家のお勝手で聽いたお靜は、そつと裏口から拔け出して、襷を外して前掛を疊んで、小買物でもするやうな恰好で路地へ出ると、どう聲を掛けたものか、間もなく女二人、肩を並べて入つて來ました。
お靜が手を取るやうにして、家の中へ入れた女といふのは、三十五六の大年増で、大家の奉公人らしく、身扮は木綿物の至つて質素なもの、手足もひどく荒れて居りますが、顏容は、清潔で上品で陽焦けこそして居れ、白粉つ氣の無い健康らしさが好感を持たせます。
「お前さんは、何處から來なすつたんだ、ひどく驚いてゐる樣子だね。遠慮することは無い、打ち明けて皆んな話して見るが宜い、私で役に立つことなら、隨分力になつて上げようではないか」
平次は靜かに迎へて、心おきなく、煙草盆などを引寄せます。
押し詰つた暮のある日、凝つと聽いて居ると、師走らしいあわたゞしさが、江戸の街々を活氣づけて、障子に這ひ上がる晝の陽ざしの中を、餌をあさる小鳥が飛び交ふのも、冬の閑居にふさはしい忙しさでした。
「親分さん、お願ひでございます、私にはどうして宜いかわかりません」
女は疊の上に水仕事で赤くなつた、兩手の指を並べるのです。
「たゞそれ丈けぢやわからねえ、何をどうしてくれといふのだ」
「若旦那の徳太郎さんを助けてやつて下さい、三十間堀の猪之助親分が、縛つて行きました。若旦那が、人なんか殺す筈はありません」