一
「あ、錢形の兄さん」
平次は兩國橋の上で呼留められました。四月の末のある朝、申分なく晴れた淺黄空、初鰹魚の呼び聲も聽えさうな、さながら江戸名所圖繪の一とこまと言つた風情でした。
「おや、お品さんぢやないか、こんなに早くどこへ行くんだ、お詣りや物見遊山でも無ささうだが――」
呼び留めたのは、平次の大先輩で、昔は相當に顏を賣つた御用聞き、石原の利助の娘で、お品といふ美しいの。
「まア、私は」
お品は取亂した樣子が耻かしくなつた樣子で、あわてゝ、髮を直したり、帶を叩いたりして居ります。蒼白く冴えた細面が、少しばかり鼻白んで、二十五の若さが匂ふ年増でした。父親の利助は、事毎に錢形平次と爭つた練達無比の男でしたが、去年の春から輕い中氣で寢込んでしまひ、子分達の離散を防ぐため皆のものに勸められて、出戻りの娘お品が、女だてらに十手捕繩を預かり、辛くも父親の代理を勤めて居る有樣だつたのです。
お品は氣象者で、申分なく怜悧な女でしたが、それでも血腥い事件には怖氣をふるひ、神田明神下に飛んで行つてはツイ、仲の好いお靜に助太刀を頼んで、事毎に錢形平次を引つ張り出すのでした。
物好きな江戸つ子達は、蔭ではお品のことを『女御用聞き』と呼んで居りましたが、本人のお品はそれをまた、どんなに嫌がつたことでせう。
「大層急いでゐるやうだが」
平次は取なし顏にさう言ひました。後ろではガラツ八の八五郎が、うさんらしい鼻をヒクヒクさせて居るのです。
「大變なんです。兄さん、――龜澤町の加納屋に、昨夜殺しがあつて、家の者が二、三人行つて居りますが、とても手に了へさうもありませんし、お願ひですから、どうぞ」
お品は矢張り、平次の迎ひにやつて來たのでした。
「行くのはお安い御用だが、そいつは矢張り、お品さんと石原の子分衆で、ラチを明けるのが本當ぢやないのかな、石原町と龜澤町ぢやお膝元過ぎて、おれがちよつかいを出すと、また何んとかいはれるだらう」
「でもね、錢形の兄さん」
お品は泣き出しさうでした。