錢形平次捕物控
本文約14,500字 ・ 読了時間 約29分
あらすじ(AIが作成しました)
江戸の御用聞である錢形平次は、研屋五兵衞の娘お糸から、父の不可解な自害について相談を受ける。五兵衞は将軍家ゆかりの名刀を紛失した責任を問われていた。平次は娘の話から疑念を抱き、調べを進める中で、事件に関与した石川良右衞門の思惑や、店を取り巻く人間模様を解き明かしていく。本作は、鮮やかな推理で事件の真相に迫り、複雑な事情を汲み取りながら事態を収束させていく捕物控を描く物語である。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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一
「親分、何をして居なさるんで?」
ガラツ八の八五郎は、庭口からヌツと長い顎を出しました。
「もう蟻が出て來たぜ八、早いものだな」
江戸開府以來と言はれた名御用聞、錢形平次ともあらう者が、早春の庭に踞んで、この勤勉な昆蟲の活動を眺めて居たのです。
生温かい陽は、平次の髷節から肩を流れて、盛りを過ぎた梅と福壽草の鉢に淀んで居ります。
「大層暇なんだね、親分」
「結構な御時世さ。御用聞が晝近く起出して、蟻や蚯蚓と話をして居るんだもの」
「へツ、へツ、その暇なところで一つ逢つて貰ひ度い人があるんだが――」
「お客は何處に居なさるんだ」
「あつしの家へ飛込んだのを、つれて來ましたよ。少しばかりの知合を辿つて、入谷から飛んで來たんだ相で――」
「何んだつて庭先なんかへ廻るんだ。お客樣が一緒なら、大玄關へ通りや宜いのに」
「へツ、その大玄關は張物板で塞がつて居ますよ――木戸から庭を覗いて下さい、親分が煙草の煙で曲藝をしてゐる筈だから――と、奧方樣が仰しやる」
「馬鹿だなア」
平次の顏は笑つて居ります。自分が馬鹿なのか、女房のお靜が馬鹿なのか、それともガラツ八が馬鹿なのか、自分でも主格がはつきりしない樣子です。
「それに、お客樣は跣足だ。大玄關からは上られませんよ――さア、遠慮はいらねえ、其處から入つて來るが宜い」
ガラツ八は平次へ半分、後ろの客へ半分聲をかけました。
「――」
默つて木戸を押して、庭へ入つて來たのを一と目、平次の顏は急に引き締ります。
取亂しては居りますが、十八九の美しい娘が、足袋跣足のまゝで、入谷から神田まで驅け付けたといふことは、容易のことではありません。それに、平次の早い眼は、娘の帶から裾へかけて、斑々と血潮の附いてゐるのを、咄嗟の間に見て取つたのです。
「まア、此處へ坐つて、氣を落付けるが宜い。話はゆつくり聽かうぢやないか」
「――」
「靜、水を一杯持つて來てくれ」
平次は縁側へ娘を掛けさせると、女房のお靜が汲んで來た水を一杯、手を持ち添へるやうに、娘に呑ませてやりました。