錢形平次捕物控
本文約16,500字 ・ 読了時間 約33分
あらすじ(AIが作成しました)
江戸の神田を拠点とする岡っ引・銭形平次は、子分のガラツ八から持ち込まれた大名家での不可解な死と家宝紛失の相談を受ける。事件の背後にはやくざの源太郎の娘お銀と、その妹の夫である小姓の捨吉が関わっていた。平次は巧みな推理と鋭い洞察力を駆使し、若様の死の真相に迫るとともに、源太郎の隠し持っていた紛失した家宝の在処を井戸の竹竿の中と見抜き、事件の解決へと導いていく。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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一
「親分、――ちよいと、八五郎親分」
ガラツ八は脊筋を擽ぐられるやうな心持で振り返りました。菊日和の狸穴から、榎坂へ拔けようと言ふところを、後ろから斯う艶めかしく呼止められたのです。
「何處だ」
グルリと一と廻り、視線で描いた大きい弧がツイ鼻の先の花色暖簾の隙間を見落して居たのです。
「此處よ、ちよいと、親分」
「なんだ、――俺を鴨だと思つて居るのか」
ガラツ八は背を向けました。茶店の姐さんが、客の無い怠屈さに、顏見知りの自分へ聲を掛けたのだらうと思つたのです。
「あら、私は此店の姐さんぢやありませんよ。神田から親分の後を跟けて來て、御用の濟むのを待つて居たんぢやありませんか。ちよいと、お顏を貸して下さいな、内々のお願ひですから」
肩で暖簾を揉んで、輪廓が霞むやうな眞白な顏を出したのは、二十一、二の女、素人とも玄人ともつかぬ、拔群の艶めかしさを發散させます。
「御免を蒙らう、俺は忙しい、――御用繁多だ」
ガラツ八は獨り者の癖に、若い女には妙に突つ劍呑でした。いやどうかしたら、獨り者だから反つて若い女には無愛想だつたのかも知れず、若い女に無愛想だから、何時まで經つても獨り者だつたのかもわかりません。
「ホ、ホ、ホ、ホツ、ホツ」
女はいきなり笑ひ出しましたが、麻布中の空氣を薫蒸するやうな笑ひです。
「何が可笑しい」
ガラツ八は彌造を肩のあたりまで突き上げて、拳骨の先から相手の女を睨め廻します。
「だつて、御用繁多な方が、一軒々々菊細工を覗いて、一刻半も油を賣つてるんですもの」
「何?」
「その癖、お茶も呑まずに引返すぢやありませんか。良い御用聞がそんな心掛けぢや、世間が穩やかなわけはないねえ」
「――」
ガラツ八は弄ばれて居るやうな憤懣と、妙に腹の底からコミ上げて來る愉悦を感じました。女の調子には、皮肉な色つぽさがあつて、羽根箒で顏中を撫で廻されるやうな心持だつたのです。