一
「親分。お早うございます」
「火事場の歸りかえ。八」
「へエ――」
「竈の中から飛出したやうだぜ」
錢形平次――江戸開府以來と言はれた捕物の名人――と、子分の逸足、ガラツ八で通る八五郎が、鎌倉河岸でハタと顏を合せました。まだ卯刻半過ぎ、火事場歸りの人足が漸く疎らになつて、石垣の上は、白々と朝霜が殘つて居る頃です。
「ところで何處へ行きなさるんで? 親分」
「三村屋も放け火だつてえぢやないか」
「へエ。それで實は、親分をお迎へに行くところでしたよ」
「酒屋ばかり選つて、立て續けに三軒も燒くのは穩やかぢやないネ」
「何處の餡コロ餅屋だか知らないが、野暮な火惡戯をしたもので――」
「馬鹿だな。そんな事を言ふと、餅屋に毆られるぜ」
「へエ――」
ガラツ八は埃りと煙で汚れた、長い顎をしやくつて見せました。
今年になつてから、ほんの半月ばかりの間に、神田中だけでも三ヶ所の放け火があつた――最初の一つは、正月八日の夜半過ぎ、濱町の大黒屋で、これは夜廻りが見つけてボヤですましたが、二度目のは、中四日置いて正月の十三日、外神田松永町の小熊屋で、これは、着のみ着のままで飛出した程の丸燒け、三度目は正月十八日、――正確に言へば十九日の曉方、鎌倉町の三村屋が丸燒け、その上小僧が一人燒け死んで、女房のお久は、二階から飛降りて大怪我をしてしまひました。
「三軒揃つて酒屋は變ぢやありませんか。その上三軒共薪と炭を商ひ、三軒共夜中過ぎの放け火だ」
「フム」
「それから、三の日と八の日を選つたのもをかしいぢやありませんか。御縁日か稽古日ぢやあるまいし」
「面白いな、八。他に氣のついたことはないか」
「そんな事をするのは、酒嫌ひな奴でせう、どうせ」
「ハツハツハツ。お前の智慧はそんなところへ落着くだらうと思つたよ――兎に角行つて見よう。笑ひごとぢやない。――お前も來るか」
「へエ――」
ガラツ八は疲れも忘れた樣子で、忠實な犬のやうに從ひました。
三村屋の燒け跡は、見る眼も慘憺たる有樣でした。まだ板圍ひも出來ず、灰も掻かず、ブスブス燻る中に、町内の手傳ひと、火事見舞と、燒け跡を濕してゐる鳶の者とがごつた返して居ります。