TRENDIA CLASSIC

錢形平次捕物控

野村胡堂

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錢形平次もこんな突拍子もない事件に出つくはしたことはありません。相手は十萬石の大名、一つ間違ふと天下の騷ぎにならうも知れない形勢だつたのです。

江戸の街はまだ屠蘇機嫌で、妙にソハソハした正月の四日、平次は回禮も一段落になつた安らかな心持を、其陽溜りに持つて來て、ガラツ八の八五郎を相手に無駄話をして居ると、お靜に取り次がせて、若い男の追つ立てられるやうな上ずつた聲が表の方から聞えて來ます。

「八、こいつは飛んだ御用始めになりさうだぜ、手前は裏からそつと廻つて、あの客人に氣を付けるんだ」

「へエ――」

八五郎は腑に落ちない顏を擧げました。少し造作の間伸びはしてますが、そのうちにも何となく仕込みの良い獵犬のやうな好戰的なところがあります。

「見なきや判らないが、多分あの客人の後を跟けて居る者があるだらう」

「へエ――」

八五郎は呑込み兼ねた樣子乍ら、平次の日頃のやり口を知つて居るだけに、問ひ返しもせず、お勝手口の方へ姿を消しました。

入れ違ひに案内されて來たのは、十七八の武家とも町人とも見える、不思議な若い男。襲はれるやうに後ろを振り返り乍ら、

「平次親分で御座いますか、――た、大變な事になりました。どうぞお助けを願ひます」

おろ/\した調子ですが、それでも、折目正しく坐つて斯う言ふのでした。

武家風な前髮立、小倉の袴を着けて、短かいのを一本紙入止めに差して居りますが、言葉の調子はすつかり町人です。

「何うなすつたのです、詳しく仰しやつて下さい。次第によつては平次、及ばず乍ら御力になりませう」

平次はさう言はなければなりませんでした。物に脅えた美少年の人柄や樣子を見ると、その惱みを取り去つてやりたい心持で一パイになる平次だつたのです。

「私は――牛込御納戸町の一色道庵の伜綾之助と申します」

「えツ、それでは若しや、父上道庵樣が?」

「ハイ、三人目の行方知れずになつた本道(内科醫)で御座います」

「それは大變」

これは平次の方が驚きました。一色道庵といふのは、町醫者でこそあれ、その頃日本中にも聞えた本草家(今の博物學者)で、和漢藥に通じて居ることでは、當代並ぶ者無しと言はれた名家だつたのです。

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