一
「親分、變なことがあるんだが――」
ガラツ八の八五郎がキナ臭い顏を持ち込んだのは、まだ屠蘇機嫌のぬけ切らぬ、正月六日のことでした。
「何が變なんだ、松の内から借金取でも飛込んだといふのかえ」
錢形の平次は珍らしく威勢よく迎へました。ろくな御用始めもないので、粉煙草ばかりせゝつて、心待ちに八五郎の來るのを待つてゐたのです。
「借金取や唐土の鳥には驚かねえが、――こいつは全く變ですぜ、親分」
「だから何が變だと言つてるぢやないか」
「一町内の子供が五人、煙のやうに消えて無くなつたのは、變ぢやありませんか、親分」
ガラツ八の小鼻は、天文を案ずるやうに脹れます。
「子供が五人揃つて消えた?――そいつは拔け詣りだらう」
平次は事もなげです。その頃子供達が誘ひ合せて、親の許しを得ずに、伊勢詣りの旅に出ることがよく流行りました。伊勢詣りとわかれば箱根の關所もやかましいことは言はず、先々の宿も舟も、何彼と便宜を與へてくれる世の中だつたのです。
「七つから九つまでの子供ですぜ、その中には女の子が二人居ますよ」
「成程そいつは少し變だな」
「その上、夕方かごめ/\か何んかやつて遊んでゐて、不意に見えなくなつた。菅笠も柄杓も仕度をする間がありませんよ」
どんな無鐵砲な拔け詣りも、それ位の用意はあるべき筈です。
「神隱しかな」
平次は何時の間にやら、坐り直して居りました。
「そんなものはあるでせうか、親分」
人間が不意に見えなくなつて、何日か何年かの後、ヒヨツクリ現はれるのを、昔は羽黒や秋葉の天狗のせゐにして、これを神隱しと言つたのです。その中には誘拐や、迷子や、記憶の喪失や、借金逃れもあつたでせうが、昔の人はそんな詮索をする氣もないほど鷹揚だつたのでせう。
「――」
「神や佛が、そんな虐たらしい事をする道理は無いぢやありませんか、ね親分。五人の子供の親達の歎きは、見ちや居られませんよ」
「――」
「何んとかしてやつて下さいよ」
「何處だえ、それは? 何時のことなんだ」
平次は漸く乘出しました。
「本郷の菊坂で」
「フーム」