一
江戸開府以來の捕物の名人と言はれた錢形の平次は、春の陽が一杯に這ひ寄る貧しい六疊に寢そべつたまゝ、紛煙草をせゝつて遠音の鶯に耳をすまして居りました。
此上もなく天下泰平の姿ですが激しい活動のあひ間/\に、こんな閑寂な境地を樂しむのが、平次の流儀でもあつたのです。
「八、何をして居るんだ。用事があるなら大玄關から入れ」
いきなり平次は振り返りもせずに、後ろの方――さゝやかな庭木戸のあたりに居る人間に聲を掛けました。
「へツ、よくあつしと解りましたね」
平次のためには大事な『見る眼嗅ぐ鼻』ですが、人間の燒が少々甘い八五郎は、木戸の上に長んがい顎を載つけたまゝ斯う言ふのです。
「大層意氣な影法師が縁側まで泳いで來るぢやないか、そんな根の弛んだ髷節が、朝つぱらから俺の家を覗くとしたら、八五郎兄哥でなくて誰だと思ふ」
「違げえねえ、――が、大玄關は洗濯物と張板で塞がつて居ますぜ」
八五郎はそれでも氣になるらしく左の方に曲つた髷節を直し乍ら、木戸を押開けてバアと入つて來ました。
「お伴れは何うした、八」
「そいつも影法師の鑑定でせう、親分」
「いや、今度のは匂ひだよ」
「まア」
少し嬌顰を發したらしい若い女の聲、それを聽くと平次は起き直つて、
「まア入れ、其處に立つて居ちや、お長屋の衆が通られまい」
と蟠りもなく招じ入れるのでした。
八五郎と一緒に來た客といふのは、十七八の可愛らしい娘で、至つて粗末な木綿物を着て居りますが、何んとなく氣性者らしいところがあり、平次の惡い冗談に腹を立てたものか、八五郎の後ろへ隱れるやうにツンとそつぽを向いて居ります。
「ね、親分。若い娘が一人煙のやうに消えてなくなつたんですがね、こいつは年代記ものぢやありませんか」
八五郎は話上手に持かけました。
容易に人を縛らぬ錢形平次は、一面にはまた恐ろしく無精なところがあり、江戸の町人達がよく/\平次の叡智と腕とを借り度いと思ふ場合は、氣性を呑み込んだ八五郎に頼んで、斯んな具合に持ちかけ、平次自身の乘出して來るのを待つ外はなかつたのです。