一
「八、何處の歸りだ。朝つぱらから、大層遠走りした樣子ぢやないか」
錢形の平次は斯んな調子でガラツ八の八五郎を迎へました。
「わかりますかえ親分、向柳原の叔母の家から來たのぢやないつてことが」
八五郎の鼻はキナ臭く蠢めきます。
「まだ巳刻前だよ、良い兄さんが髷節に埃りを附けて歩く時刻ぢやないよ。それに氣組が大變ぢやないか。叔母さんとこの味噌汁や煮豆ぢや、そんな彈み[#「彈み」は底本では「彈み」]がつくわけはねえ」
「まるで廣小路に陣を布いてゐる八卦屋だね」
「それとも千住か板橋から馬でも曳いて來たのか」
「冗談ぢやありませんよ、親分。二年前に死んだ人間が人を殺したんだ。小石川の陸尺町から一足飛びに飛んで來ましたぜ」
「二年前に死んだ人間が人を殺した?」
「その上まだ/\四五人は殺してやるといふんだから大變で――」
「誰がそんな事を言ふんだ?」
「二年前に殺された人間ですよ」
「さア解らねえ、まア落着いて話せ」
「落着いて聽いて下さいよ親分、こいつは前代未聞だ」
ガラツ八の持つて來た話は、あまりにも桁外れでした。二年前に死んだ人間が、豫告して人を殺すといふことは、絶對にあり得べからざることですが、ガラツ八は自分の眼で、現にそのあり得べからざる事件を見て來たといふのです。
「小石川陸尺町(安藤坂下――今の水道町)の成瀬屋總右衞門といふのを親分は覺えてゐるでせうね」
「陸尺町の成瀬屋總右衞門――二三年前に御府内を騷がせた大泥棒蝙蝠冠兵衞を生捕つて、お上から御褒美を頂いた家だね」
平次はよく知つて居りました。その頃義賊と稱した泥棒で、その實、百兩盜つて、十兩か五兩を貧しい者に惠み、あとの大部分は自分の懷ろに入れた蝙蝠冠兵衞は、自分の良心を欺いて、無智な世間の人氣を博することと、如何なる締りも、なんの苦もなく開けて忍び込む天才的な術を心得てゐる點で、有名だつた男です。
その蝙蝠冠兵衞ほどの強か者も、傳通院前の成瀬屋に忍び込んだ時は、取返しのつかぬ失策をしてしまひました。