TRENDIA CLASSIC

錢形平次捕物控

野村胡堂

1 / 14

飯田町の地主、朝田屋勘兵衞が死んで間もなく、その豪勢な家が、自火を出して一ぺんに燒けてしまつたことがあります。火事は幸ひ一軒で濟みましたが、主人勘兵衞が死んだ後、思ひの外の大きい借金があつたりして、暮を越し兼ねての細工ではないかなどと、變な噂が立つたりしたものです。

「へツ、へツ、親分、變なことがありましたよ」

ガラツ八の八五郎相好を崩して飛込んで來たのは、松が取れたばかりの、薄寒く暮れた宵の口でした。

「何をニヤニヤしてゐるんだ。少し顏の紐を締めて歩けよ、松は取れてゐるぜ」

口小言をいひ乍らも、錢形平次は嬉しさうでした。天氣はよし、御用はなし、退屈しきつてゐるところへ、この少々タガのゆるい子分がやつて來て、漫談放語するのは、決して惡い心持ではなかつたのです。

「だつて、親分、場所は九段の牛ヶ淵ですよ。ピカピカするやうな娘が一人、しよんぼり立つてゐるから、思はず聲を掛けたと思つて下さい――あぶないぜ、お孃さん、そんなところに立つて水なんか眺めてゐると、河童に見込まれないものでもあるめえ、惡いことは言はないから、さつさと家へ歸るが宜い――とね」

「牛ヶ淵に河童が居るかえ」

「物の譬ですよ」

「顎の長い浮氣な河童ぢやあるまいな」

「へツ、冗談でせう」

「で、その河童ぢやない――娘は、何んと言つた」

「あつしの顏を見て居りましたが、いきなり、あら八五郎親分、丁度宜いところでお目にかゝりました。私はもう怖くつて怖くつて、何うしませうと――噛り付きやしませんがね、まア、斯う噛りつきたいやうな恰好をしたと思つて下さい」

「間拔けだなア、あの邊に惡い狐が居るやうな話は聞かないけれど――」

「狐ぢやありません。ピカピカするやうな人間の新造ですよ」

「ヒネた人間で拵へた新造だらう、白粉厚塗りの女實盛だ、人別を調べると還暦に近い代物さ、柳原から河岸を變へたことは知らなかつたが――」

「いやになるなア、夜鷹や惣嫁ぢやありませんよ。親分も御存じの、中坂の朝田屋の娘お縫、此間の火事の時、お調べに立ち會つたんで、あつしの顏を覺えてゐたのですね」

「男が好いととくだね」

野村胡堂の他の作品