一
「親分、平右衞門町の忠義酒屋といふのを御存じですかえ」
「名前は聞いて居るが、店は知らないよ」
ガラツ八の八五郎は何んかまた事件を嗅ぎ出して來た樣子です。大きな小鼻をふくらませて、懷ろから出した掌で、長んがい顎を撫で廻し乍ら、斯んな調子で始めるのでした。
薄寒い日射しが障子に這ひ上がつて、街にはもう暮近い賑やかさが脉打つてゐやうといふ或日の出來事です。
「孝行や忠義はこちとらに縁はないが――」
「何んといふ罰の當つた口を利くんだ、馬鹿野郎。掻拂ひや巾着切を追つ駈けるばかりが能ぢやあるやえ、たまには御褒美の出る口でも聽込んで來い」
「へエ、精々心掛けますがね、――差當り平右衞門町の忠義酒屋加島屋の話で――」
錢形平次の馬鹿野郎を喰ひつけてゐる八五郎は、臆した色もなく話を續けるのでした。尤も小言をいひ乍らも平次は、粉煙草の烟を輪に吹き乍ら、天下泰平の表情で、八五郎の話を享樂して居るのです。
「加島屋が暮の大賣出しでも始めるといふのか」
「そんな世間並な話ぢやありません。が、親分はあの忠義酒屋の因縁を御存じですか」
「いや、知らないよ。お前には小言をいつたものの、俺なんかも忠義や孝行とは縁のない人間かも知れないな」
「尤もお靜姐さんは、町内で評判の亭主孝行――」
「馬鹿野郎、亭主の前で女房を褒める奴があるか」
「へエツ」
八五郎は月代を撫で上げて、ペロリと舌を出しました。平次の戀女房のお靜は、何んにも知らずに、お勝手を明るくさせ乍ら、嗜みよくお化粧をして居ります。
「無駄は拔きにして、忠義酒屋の加島屋が一體どうしたと言ふんだ」
平次は際限なくタガのゆるむ話を、もとの話題に引戻しました。
「へツ、相濟みません。――その加島屋の娘――二人ありますがね、姉はお咲と言つて二十歳、妹はお駒といつて十八、姉のお咲は咲き立ての牡丹のやうな、良い女ですが、妹のお駒は見つともない娘で――同じ枝に咲いた花が、あんなに違つてゐたら見世物でせうが、人間の姉妹だから大した不思議とも思はない――」
「今日はどうかして居るぜ八、お前の言ふことは一々疳にさはるが」