一
「あれを聽いたでせうね、親分」
ガラツ八の八五郎は、この薄寒い日に、鼻の頭に汗を掻いて飛込んで來たのです。
「聽いたよ、新造に達引かしちやよくねえな。二三日前瀧ノ川の紅葉を見に行つて、財布を掏られて、伴の女達にお茶屋の拂ひまでして貰つたといふ話だらう」
錢形平次は立て續けに煙管を叩いて、ニヤリニヤリとして居るのです。
「そんなつまらねえ話ぢやありませんよ。親分も聽いたでせう、近頃大騷ぎになつて居る、土手の髷切り」
「さうだつてね、新吉原の土手で、遊びに行く武家がポンポン髷を切られるんだつてね、――大きい聲ぢや言へねえが、『人は武士なぜ傾城に嫌がられ』とはよく言つたものさ。突き袖かなんかしやがつて、武士たる者が不用心ななりで女郎買なんかに行くから、命から二番目の大髻を切られるのさ。八五郎が財布を掏られるのと違つて、こいつは内々溜飮を下げて居る奴が多いぜ。なア八」
町人平次――お上の御用を勤めてゐるには相違ありませんが、武士の髷切り騷ぎには、内々揉手をして喜んで居るのでした。
その頃江戸中の評判になつた、この髷切りの惡戯は、一ヶ月ほど前から始まつたことですが、月のない眞つ暗な晩に限つて、新鳥越から衣紋坂にいたる、所謂土手八丁と言はれた日本堤で、何者とも知れぬ怪人に襲はれ、アツと言ふ間に髷節から髻を切り取られ、ザンバラ髮になつて、すご/\と歸る人間が多くなつたのです。
誰が一體、何んの意趣でそんな惡戯をするのか、全く見當もつきません。髷を切られるのは武家に限り、二本差でないものは、どんなに醉拂つて居ても、たつた一人で通つても、何んの障りもなく、武士は二三人繋がつて歩いて居ても、そのうちのたつた一人だけが見事に髷を切られることさへあるのでした。
切られた者の話によると、音も立てずに忍び寄つて、恐ろしい手際で拔き討に髷節を拂ひ、サツと風の如く飛去るらしいといふのです。中には頭の上を鳥が飛んだやうに感じたとか、頬をかすめて、一陣の風が吹いたと感じたときは、もう自分の髷節は切られて、バラリと毛が耳へ下がつて來て居るといふのです。