一
「親分、お早やうございます」
八五郎はいつになく几帳面に格子戸を開けて入つて來ました。神田明神下の、錢形平次住居の段、――尤も、几帳面に引かないと、この格子は番ごと敷居から外れます。
借金の言ひわけと細工事が大嫌ひで、棚が落ちても釣らうとせず、半日肩で押へてゐて、八五郎が來るのを待ち兼ねない平次です。入口の格子戸の外れるくらゐのことは、三年でも我慢する氣でなければ、店賃を六つも溜められる道理はありません。
それは兎も角、平次は相變らず粉煙草をせゝつて、三世相大雜書を讀んで居りました。干支を繰つて見ると、前世に寺から油を三合借りて返さなかつたので、斯んなに貧乏するんださうで、
「八五郎の奴は、八幡樣の神馬の生れ變りで、福徳圓滿、富貴望むが儘なるべし――は少し眉唾だが、顏の長いところは、馬に縁がないでもない。――おや、おや、その代り、いやなト書きが附いて居る。その代り『伉儷得難かるべし、縁談すべて望なし、愼しむべし、愼しむべし』だつてやがる、何が愼しむべしだ。可哀さうに、何んだつてまた御神馬なんかになりやがつたんだ」
ポンと分厚な大雜書を抛ると、
「お早やう、起きてるんですか、親分」
八五郎の顏が六疊を覗くのです。
「あ、膽をつぶすぜ、顎のお化けが出たのかと思つたよ。いきなり入つて來やがつて――」
「聲を掛けたのを、親分が聽えなかつたんで」
「柄にもなく、尋常らしい聲を出すからだよ。小笠原流に物申すぢや、聞えはしないやな。お前が八幡樣の御神馬の生れ變りで、金はウンと出來るが、女の子は出來ないといふ、有難い本を讀んでゐたところだ」
「イヤになるなア、金なんざ百も欲しくねえが、江戸の良い娘がベタ惚れといふ卦が出ませんかね。塵溜をあさつてゐる雄鷄の生れ變りで結構だから」
「呆れた野郎だ。――ところで、此二三日顏を見せなかつたぢやないか」
「御婚禮へ行つてゐたんですよ」
「三日は長過ぎるぢやないか。まさか、お里歸りまで附き合つたわけぢやあるめえ」