TRENDIA CLASSIC

錢形平次捕物控

野村胡堂

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「親分」

「何んだ、八。大層な意氣込みぢやないか、喧嘩でもして來たのか」

錢形平次は氣のない顏を、八五郎の方に振り向けました。

「喧嘩ぢやありませんがね、癪にさはつて癪にさはつて――」

「癪なんてものは、紙入に入れてよ、内懷にしまひ込んで置くもんだ――お前見たいに鼻の先へブラ下げて歩くから、餘計なものにさはるぢやないか」

「へツ、まるで心學の講釋だ。親分も年を取つたぜ」

八五郎は餘つ程蟲の居どころが惡かつたものか、珍しく親分の平次に突つかゝつて行きます。

「ハツ、ハツ、ハツ、八五郎にきめ付けられるやうぢや、全く年を取つたかも知れないよ。ところで何が一體癪にさはるんだ」

平次は無造作に笑い飛ばして、縁側に後ろ手を突いたまゝ、空の碧さに見入るのでした。七夕も近く天氣が定まつて、毎日々々クラクラするやうなお天氣續きです。

「だつて、口惜しいぢやありませんか。三輪の萬七親分が、先刻昌平橋であつしの顏を見ると、いきなり、『おや八兄哥、此邊にブラブラして居るやうぢや相變らず錢形のところに居候かい。俺のところの清吉なんか、八兄哥より二つ三つ若い筈だが、此間から入谷に世帶を持つて、押しも押されもせぬ一本立の御用聞だぜ。――尤も其處まで行くのは容易のことぢやあるまいがね――』と斯うだ」

「――」

「あんまり腹が立つから、いつそ十手捕繩を返上して、番太の株でも買はうと思つたが――番太の株だつて唯ぢや買へねエ」

こんなに腹を立ててゐる癖に、八五郎の調子には、吹出さずに居られない可笑味があります。

「ハツ、ハツ、ハツ、笑つちや氣の毒だが、腹を立てる度に番太の株を狙ふのは、江戸中の岡つ引にも、お前ばかりだよ。何處かに良い後家附きの株でもあるのかい。――それは兎も角、八五郎だつて立派な一本立の御用聞ぢやないか。今度三輪の親分に逢つたら、さう言つてやるが宜い。親分のところに泊つて居るのは、田舍から姪が來て、向柳原の叔母の家が急に狹くなつたからだ。手頃の貸家があるなら世話して下さいよ、家賃なんかに絲目は附けないから――と言つたやうな具合にな」

「それくらゐのことを言つたんぢや、腹の蟲が納まりませんよ」

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