錢形平次捕物控
本文約11,000字 ・ 読了時間 約22分
あらすじ(AIが作成しました)
三河町の大元締・溝口屋鐘五郎が、厳重に閉ざされた自身の部屋で刺殺される事件が発生する。三十八人の子分が見張る中、誰も出入りした形跡がない密室殺人の謎に対し、奉行所の下っ引きである銭形平次が捜査に乗り出す。かつて鐘五郎に敗れ没落した飯田町・伏見屋の一味で、現在は日雇いとして暮らす臆病馬吉の不審な動向を追い、平次は怨恨に端を発した犯行の真相を鮮やかに解き明かしていく。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
一
三河町一丁目の大元締、溝口屋鐘五郎の家は、その晩割れ返るやうな賑ひでした。親分の鐘五郎は四十三歳、後厄の大事な誕生日を迎へた上、新に大々名二軒の出入りを許されて、押しも押されもせぬ、江戸一番の人入稼業になつた心祝ひの酒盛だつたのです。
集つた子分は三十八人、店から奧へ三間ほど打つこ拔いて、底の拔けるやうな騷ぎ。――十六基の燭臺、二十幾つの提灯に照された酒池肉林は、歡樂極まつて淺ましい限りでした。
親分の鐘五郎は、暫くこの有樣を眺めてをりましたが、あまり強くない酒を過したのと、この上頑張つてゐると、子分共の感興を妨げることに氣が附いて、上座の子分二三人に目顏で合圖をしてそつと起ち上がりました。こゝから廊下續きの自分の部屋に歸つて、靜かに休むつもりだつたのでせう。
子分の勘次と六助は、早くも氣が附いて、親分の後に從ひました。
「いゝよ、休むのは獨りの方が氣樂だ。――お前達の姿が見えなくなつたら、後が淋しからう。歸つてゆつくり飮み直すがいゝ」
薄暗い廊下の端つこ――自分の部屋の入口に立つて、鐘五郎は手を振りました。鬼の鐘五郎と言はれた酷薄無殘な男ですが、滿ち足りた今宵ばかりは、さすがに鷹揚な心持になるのでせう。
「それぢやあんまり」
「いゝつてことよ、みんなの氣の付かないうちに歸つてくれ」
「それぢや、親分」
「あとを頼むよ」
「お休みなさいまし」
勘次と六助は、親分の鐘五郎が唐紙を開けて自分の部屋に入るのを見定めて、もとの酒宴の席に歸つたのです。それが丁度亥刻(十時)――上野の鐘が騷ぎの中を縫つて、響いてゐるのに氣が附きました。
「忌々しいぢやないか。――裏の臆病馬吉奴、まだ尺八を吹いてやがる」
勘次は大きく舌打をしました。もとは飯田町の伏見屋傳七の身内で、勘次や六助と同じ釜の飯を食つた臆病馬吉といふ男が、伏見屋が沒落した後、勘次や六助が溝口屋の身内になつて、相變らず威勢の良い暮しをしてゐるのに、甲斐性がないばかりに日傭取にまで身を落し、好きな尺八一管を友に、溝口屋の裏に住んで見る影もなく生きてゐる馬吉だつたのです。