一
「親分、大變な者が來ましたよ」
子分の八五郎、ガラツ八といふ綽名の方がよく通るあわて者ですが、これでも十手捕繩を預かる、下つ端の御用聞には違ひありません。
「何んだ? 今更借金取なんかに驚く柄ぢやあるめえ。ズイと通しな」
江戸開府以來と言はれた捕物の名人錢形の平次は、それでもとぐろをほどいて居住ひだけは直しました。まだ三十代に入つたばかり、燻したやうな澁い人柄で、ざらの『好い男』扱ひにするには勿體ない肌合ひの男です。
「女ですよ、親分」
「女に驚いた日にや、叔母さんに小言を言はれる度に眼を廻さなきやなるまい」
「それも唯の女ぢやねエ、兩國で江戸中の人氣を湧き立たせてゐる娘手品師のお關――良い女ですぜ」
「馬鹿野郎、涎を拭いて丁寧に通すんだ。何時までも大玄關に立たせて置くと、お客樣が夕立に流されるぞ」
「へツ、大玄關は嬉しいね」
ガラツ八は泳ぐやうな足取で入口に引返しました。この掛合ひが、平次の所謂大玄關まで筒拔け、丁度その時追つ立てるやうにザーツと一と夕立來ると一と打二た打眼を射る猛烈な稻光り、彈くやうな雷鳴が、押つ冠せてガラガラツと耳をつん裂さき[#「裂さき」はママ]ます。
「あつ」
その雷鳴に尻を引つ叩かれたやうに、ズブ濡れの女が一人、會釋もなく飛び込んで來ました。尤も格子を開けて障子を押し倒して、取次の八五郎を突き飛ばせば、もう厭も應もなく平次と顏を合せなきやなりません。
「御免下さい、親分。私はあんまりびつくりして」
女は敷居際にヘタヘタと坐ると、單衣の袂でいきなり自分の襟やら首やらを拭いてをります。年の頃は二十歳か二十一、白粉ツ氣はありませんが、表情的で仇つぽくて、身のこなしが滅法艶めかしい上、少し大きい顏の造作も、舞臺馴れた人によくある不思議な吸引力を持つてをります。
「大層物驚きをするぢやないか。俺はまた綺麗な雷獸が飛び込んだのかと思つて膽をつぶしたよ」
「あれ、親分」
お關はさすがに極り惡さうでした。
「ところで何んの用事で飛び込んで來たんだ。まさか雨宿りぢやあるまい」
「え、大變なことが起りました。是非親分のお力を拜借して――」