一
「親分、あれを御存じですかえ」
ガラツ八の八五郎はいきなり飛び込んで來ると、きつかけも脈絡もなく、こんなことを言ふのでした。
「あ、知つてるとも。八五郎が近頃兩國の水茶屋に入り侵つて、お茶ばかり飮んで腹を下してゐることまで見通しだよ。どうだ驚いたらう」
錢形の平次はこの秘藏の子分が、眼を白黒するのを、面白さうに眺めながら、こんな人の惡いことを言ふのです。
「親分の前だが、それが大變なんで」
「八五郎の嫁になりたいといふ茶汲女でもあるのかい。劫を經たのはいけないよ」
「そんな間拔けな話ぢやありませんよ」
「恐ろしく突き詰めた顏をするぢやないか。惡いことは言はない、心中や駈落ちだけは止してくれ。叔母さんが心配するぜ」
一向相手にならない平次の前に、八五郎はでつかい財布の中から半紙一枚に假名で書き流した手紙を出して見せるのでした。
「これを讀んで下さいよ、親分」
「何」
漸く眞劍になつた平次、煙管を投り出すと、紙の皺を延ばしながらざツと讀み下しました。
文字は金釘流、文意もしどろもどろですが大骨折で辨慶讀にすると、
『――近頃本所元町の越前屋半兵衞のところに、いろ/\不思議な事が起つて不氣味でかなはない。いづれは惡人の惡企みではあらうが、お二人のお孃樣に萬一のことがあつてはいけないからお知らせする――』と書いてあるのです。
「ね、こいつは一寸氣になるでせう」
八五郎の鼻は少しうごめきます。
「それで何うしたといふのだ」
「水茶屋に入り侵ると見せかけて、よそながら越前屋を見張りましたよ。二日三晩經つても、何んにも起らないと思ふと――」
「當り前だ。こいつは惡戯にきまつてゐるぢやないか。字は恐ろしく下手だが、わざと下手ツ糞に書いたのだよ――釣筆と言つてな、天井から絲で筆を吊つて、紙の方を動かしながら書くとこんな字になるよ」
「ところが變つたことがあつたんですよ。親分」
「どんなことがあつたんだ」
「越前屋の後添の連れ子で、手代のやうに働いてゐる福松といふのが、昨夜兩國橋の上から大川へ投り込まれたんです」
「死んだのかい」