一
「八、丁度宜いところだ。實は今お前を呼びにやらうかと思つてゐたところよ」
「へエ、何んか御馳走でもありますかえ」
錢形平次は、斯んな調子で八五郎を迎へました。この頃の暑さで、江戸の惡者共も大怠業をきめて居るらしく、珍らしく御用の方も閑だつたのです。
「呆れた野郎だ。御馳走ならお前を呼ぶものか、一人で喰ふよ」
「へエ、御親切なことで」
「今のは小言だよ、――昨日向柳原のお前の叔母さんが來て、お靜を相手に半日口説いて行つたよ」
「有難いことで」
「たまには年寄の言ふことも聽くものだよ。叔母さんは苦勞人だ、なか/\面白いことを言つたぜ」
「へエ?」
「甥の八五郎も三十に近いから、一日も早く嫁を持たせて、冥途の姉にも安心させ度いと思ふが、あの樣子では嫁に來てくれ手もあるまい。何とか世間並のたしなみだけでも身につけるやうに、折々は叱つてやつて下さいと――ね」
「へエ」
「聞けばお前は、晝の着物のまゝで、床にもぐり込んだり、褌で顏を拭いたりする相ぢやないか」
「叔母さんはそんな事を言ひましたか」
「あんな躾はした覺えはないが、色氣がないにしても困つたものだ――と大こぼしよ」
「色氣の方は滿々としてゐるんだが」
「尚ほ惡いやな」
平次は叔母に頼まれただけの小言を一と通り取り次ぎましたが、これが誠に儀禮的で、言ふ方も言はれる方も一向身につきません。
「その躾で思ひ出したわけぢやありませんがね、矢の倉の御鞍打師辻萬兵衞といふのを親分は知つてゐるでせう」
ガラツ八は妙なことを言ひ出しました。
「知つてるとも、公儀御用の御鞍打師だ。鞍打師は外にもあるが、人間が一國で几帳面で、義理堅くて口やかましくて、早い話が、うるさい方では江戸一番と言はれた男だ」
「そのうるさい男が、金が溜つて商賣が繁昌して、娘が綺麗で申分のない暮しをして居るのに、毒を呑んで自害したとしたらどんなもので?」
八五郎はこんな人じらしな事を言つて、長んがい顎を撫で廻すのです。
「貧乏人が死に急ぎするとは限るまいよ。金持だつて死に度くなる事があるだらうぢやないか」