一
「親分、長い間お世話になりましたが――」
八五郎はいきなり妙なことを言ひ出すのです。まだ火の入らない長火鉢の前、お茶をのんで煙草をふかして、煙草を呑んでお茶を啜つて、五尺八寸の身體が、ニコチンとカフエーンで一杯になつた頃、何やら繼穗のない話を思ひ出したのでせう。
「大層改まるぢやないか、――まさか長い草鞋を履くについての挨拶ぢやあるめえな」
平次は大きく欠伸を一つ、節をつけて、さて――と言つた顏になります。
「そんなしめつぽい話ぢやありませんよ。例へば、煙草がなくなるとツイ、向柳原から此處まで飛んで來て、尻から煙の出るほど吸ふといつたあつしでせう」
「どうもさうらしいな。飯の食ひ溜めといふことは聽いたが、煙草の呑み溜めは、八五郎一人に備はる藝當だよ」
「そこでね、親分。それもこれも不斷小遣ひのないせゐでせう」
「恐ろしく悟りやがつたな」
「金儲けなんて藝當はあつしの柄ぢやなし、こいつは一番心を入れ換へて、溜めるに越したことはないと覺悟をきめましたよ。道話の先生もさう言つたでせう――儲けるより溜める方が早い――と」
「大層なことになるものだな。氣は確かか、八」
「へツ、ずんと正氣で、この通り」
などと、自分の胸をドンと打つて見せる八五郎です。
「ところで、金を溜めて、何うしようといふのだ。江戸つ子にはない嗜みだが、後學のために聽いて置かうぢやないか」
「先づ第一に、煙草を呑み度くなる度毎に、一々此處まで飛んで來るのが止せますね」
「成程、下駄が減らなくて宜いだらう」
「小遣ひがなくなつて、親分のところへ借りに來ると、きまつたやうにお靜姐さんが風呂敷包を持つて、お勝手口から驅け出すでせう。あれは殺生過ぎて見ちや居られませんよ、親分の前だが」
「馬鹿野郎」
「へエ」
「お靜がお勝手口から飛び出したつて、まさか、身賣をするわけぢやあるめえ、多寡が質屋通ひだ。こちとらの女房が質屋の暖簾をくゞるのは、三度の飯を炊くのと同じことだよ。餘計な氣を廻しやがると、水をぶツかけて、角のムク犬をけしかけるよ」
「ま、待つて下さいよ。金の入用なわけがもう一つあるんで」
「何んだえ、それは」