一
「親分、あツしもいよ/\來年は三十ですね」
錢形平次の子分、愛稱ガラツ八こと八五郎は、つく/″\こんなことを言つて、深刻な顏をするのでした。
「馬鹿だなア、松が取れたばかりぢやないか。そんなのは年の暮に出て來る臺詞だよ」
平次は相變らずの調子で、相手になつてやりながら、この男のトボケた口から、江戸八百八町に起つた――あるひは起りつゝある、もろ/\の事件の匂ひを嗅ぎ出すのです。
「こちとらは、大したお濕りがないから、暮も正月も氣が變りませんよ。これでうんと借金でもあると、暮は暮らしく、正月は正月らしい心持になるんだが――」
「相變らず間拔けな話だなア、どこの世界に八五郎に金などを貸すお茶人があるものか」
「有難い仕合せで。正月らしい心持にもならないかはり、首を縊る心配もないわけで」
「ところで、來年三十になつたら、どんなことになるんだ」
平次は話の捻を戻しました。
「來年は三十、さ來年は三十一でせう」
「不思議なことに人間は一つづつ年を取るよ」
「三十に手が屆かうといふのに、女房になり手のないのは心細いぢやありませんか」
ようやく八五郎は結論に辿りつきました。さう言つてなんがい顎を撫で廻すほど、彼氏は臆面もなく出來上がつてゐるのです。
お勝手の方で、その述懷を漏れ聽いてたまらなさうに笑つてゐる者があります。言ふまでもなく、平次の戀女房のお靜、それはまだ若くも美し[#「美し」はママ]もありました。
「呆れた野郎だ、俺のところへ、女房の催促に來たのか」
「そんなわけぢやありませんがね」
「それぢや良い娘でも見付かつて、橋渡しをしてくれといふのか」
「娘なら親分に頼むまでもなく、小當りに當つて見るが、相手が人の女房ぢや手の出しやうがありません。これぞと思ふ女がみんな亭主持ちなんだから、世の中が嫌になるぢやありませんか」
八五郎は飛んでもないことを言ひ出して、大して悲觀する樣子もなく、ニヤリニヤリとするのです。
「馬鹿野郎、人の女房などに眼をつけやがつて、水をブツかけて掴み出すよ」
荒つぽいことを言ひながらも、平次はとぐろをほぐしさうもなく、自棄に煙草盆を引寄せて、馬糞臭いのを二三服立てつゞけに燻らします。