錢形平次捕物控
本文約13,200字 ・ 読了時間 約27分
あらすじ(AIが作成しました)
飯田町の中坂下で暮らす錺屋の三郎兵衞が刺殺される事件が発生する。現場に居合わせた兼吉は、隣人の按摩の息子である勇三郎を下手人として捕縛する。しかし、三郎兵衞の娘ゆかりから無実を訴えられた錢形平次は、現場周辺の状況や隣人の谷五郎が持つ特異な技能に着目する。平次は子供たちの凧を活用した犯行の手口を見抜き、真の下手人である谷五郎を追い詰める。事件解決後、ゆかりと勇三郎は結ばれ、穏やかな生活を取り戻す。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
一
「ね、お前さん」
女房のお靜は、いつにもなく、突きつめた顏をして、茶の間に入つて來るのでした。梅二月のある日、南陽が一パイに射す椽側に、平次は日向煙草の煙の棚引く中に、相變らず八五郎と、腹にもたまらない無駄話の一刻を過して居るのでした。
「恐ろしく眞劍な顏をするぢやないか。また俺の湯呑でも割つたんだらう」
錢形平次は後ろを振り向きもせずに、斯んなことを言ふのです。
「あれ、お前さん」
お靜は途方に暮れて言ひ淀みました。察しの宜いのは嬉しいが、いつでも斯う先をくゞつて感の働く平次です。
「それとも、勝手口へうるさい押賣でも來たといふのか」
「さうぢやありませんよ。後生の願ひだから、親分に逢はせてくれといふ娘さんが、來ましたが」
「姐さん、その娘といふのは、年は幾つくらゐで、綺麗ですか」
八五郎は横合ひから口を出します。
「馬鹿だなア、娘と聞くと眼の色を變へて乘り出しやがる。――四十八歳のゆき遲れで、人三化七だつた日にや、女房の取次があんなに彈むものか」
「あれ、お前さん」
お靜はもう一度同じ臺詞を繰り返して、立ち去りもならず、そのまゝ居竦むのです。
「まア宜い、逢ふも逢はないもあるものか。殿樣へお目見得ぢやあるめえし、此處へ通すんだ。お勝手から來るやうぢや、どうせ若い娘だらうから脅かして歸しちやならねえ」
「――」
お靜は心得て立去ると、間もなく十六七の可愛らしいのを、押し出すやうに連れて來ました。紅嫌ひの浮世繪の娘姿のやうに、それは地味ではあるが、申し分なく可憐な好ましい姿でした。
おど/\してゐるが、下つぷくれの情熱的な顏立ち、木綿物の黄縞に黒襟をかけて、帶までが黒いのは氣になりますが、開きかけた唇は妙に引吊つて、涙を噛みしめたやうな、いぢらしさに顫へるのです。
「どうしたんだ姉さん、大層な心配事があるやうだが、打ち明けて話すが宜い。お前さんが此處へ飛び込むのは、よく/\思ひ詰めたことがあるんだらう」
平次は靜かに訊きました。娘の丸い肩が、堪へ性もなく顫へるのを、お靜は後ろからソツト抱き締めるやうに、手拭で涙を拭いてやりました。
「でも、父さんが殺されたんですもの」