錢形平次捕物控
本文約13,400字 ・ 読了時間 約27分
あらすじ(AIが作成しました)
高輪の旅籠・巴屋の主人山三郎が裏庭の崖下で遺体となって発見される。平次は聞き込みを重ね、主人の浮気相手であり、事件の現場に居合わせた下女のお六が、金銭トラブルを巡る口論の末に主人を刺殺した真相を突き止める。しかし、お六の犯行を確信しながらも、平次はあえて翌日まで猶予を与える。お六はその夜のうちに姿を消し、巴屋では新たな婿を迎えて日常が戻る。野村胡堂が描く、江戸の御用聞き・銭形平次の鮮やかな捕物帳。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
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一
「あ、八五郎親分ぢやありませんか」
江の島へ行つた歸り、遲くもないのに、土藏相模で一と晩遊んだ町内の若い者が五六人、スツカラカンになつて、高輪の大木戸を越すと、いきなり聲を掛けたものがあります。
「誰だい、俺を呼んだのは」
振り返ると、海から昇つた朝陽を浴びて、バタバタと驅けて來た女が一人、一行の前に廻つて、大手を擴げるではありませんか。
「巴屋のお六よ、忘れたぢや濟まないでせう。家は、大變な騷ぎ」
女は早立ちの旅人が、眼を聳てるのも構はず、八五郎の袂を取つてグイグイと引くのです。
「待つてくれ、無闇に引つ張ると、袖口がほころびる。家へ歸ると、叔母さんに叱られる」
「冗談ぢやない。紅白粉で、裲襠を着た叔母さんがあつたまるものか。此方には人殺しがあつて二三人縛られかけて居るんだから、來て下さいよ、親分。何んの爲めに十手なんかブラさげて、江の島詣りをするんだい」
女はまくし立てて、八五郎を引張るのです。高輪車町の巴屋といふのは、江戸の土産物も賣り、店では一杯飮ませて、中食も認めさせますが、横へ廻ると立派な旅籠屋で、土地も家作も持ち、車町から金杉へかけての、物持として有名な家でした。
一昨日江戸を發つとき、巴屋へ押し上がつて、旅の前祝ひの大騷ぎをやらかし、二人の女中、お六とお梅といふのを、散々からかつたことは、八五郎も忘れる筈はなく、相手のお六も、品川から朝立ちで、江戸へ戻つて來た賑やかな旅人の中から、八五郎の長んがい顎を見付けたのも無理のないことでした。
「人殺しは穩かぢやねえ。誰がどうしたんだ」
「旦那が殺されたんですよ。金杉の竹松親分が乘り込んで來て、ギヨロギヨロ睨め廻して居るから、氣味が惡くて皆んな顫へ上がつてゐますよ。八五郎親分なら、地藏樣でも縛つて行つて下さるわねえ」