胡堂百話
本文約122,800字 ・ 読了時間 約246分
あらすじ(AIが作成しました)
盛岡中学の同窓である石川啄木や山田敬一ら個性豊かな旧友との交流、郷里の芸妓との因縁、田中館愛橘や新渡戸稲造両博士から学んだ人生の指針などを綴る。また、銭形平次を執筆する際の苦心や翻案疑惑に対する思い、執筆を支えた医学への感謝など、著者の創作活動の背景や過去の記憶を回顧する随筆である。
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石川啄木
やはり、平次誕生から、はじめなければ、ならないかも知れない。
が、それは、あまりにも書きすぎた。いずれは触れることとして、ここではまず、古い友人たちから筆を起こそう。
県立盛岡中学……つい一月ほど前、「わが母校わが故郷」とかいうテレビの番組に登場したので、午後九時絶対就寝の私も、この日ばかりは大いに奮発して、夜の十一時まで、眼をあけていたが、昔は、あんな立派な校舎ではなかった。
木造の、少々よぼよぼした教室から、雨天体操場へ廊下つづきになっている。そのうす黒い羽目板の下を歩いていると、うしろから肩を叩いたやつがある。振り返るとクラスメイトの及川古志郎だ。
及川は、のちに海軍大将になったが、当時は文学青年で、妙に新しがった短歌なんぞをいじくっていた。
その及川が、ニヤリとして、
「野村。お前に、こいつを紹介するよ。石川といって、一年下だが、何か書いているそうだ。見てやってくれないか」
みると、及川の横に、こまっちゃくれた少年がいる。私も、及川も、身体は大きい方だったが、それにくらべると、三分の一もないくらいで、骨組みや腕ッ節になる養分が、ことごとく知恵の方へ回ったという顔をしていた。これが、石川啄木との、初対面だった。
その時、直してやった新体詩は、字句は忘れたが、正直なところ、おそろしく下手くそだな、と思った。後年、あんなに有名になろうとは、もちろん、夢にも考えなかった。
しかし、これが縁で、一緒に校友会雑誌の編集をやったり、家へ遊びに行ったり、来たりした。啄木の父親は、内気のように見えて、不思議に気概のある顔をしており、母親は口数も少く、何時もひかえ目に、すわっていた。