犯罪編
おとなの論理的な頭では、とうてい分らないような人間のかくれた性格、そんなかくれたものを、おさなごや下等動物がわけもなく見破るという迷信は、かなり広くゆきわたっているようだ。そして彼らの判断を、経験を超越したすぐれたものとして、受けいれてしまうのである。
こんな迷信は人々がパラドクスを愛するところからくるのかどうか、そんな問題は問う必要がなかろう。これは社会一般の信念になっていて、ことにある階級の婦人たちに支持されているようだ。そして、トマス・ソリー夫人もそれをかたく信ずる婦人の一人なのである。
「ほんとなのよ、」と、かの女はいう。「小さい子供や、ものもいえぬ動物がよく知っていることは、じっさいびっくりするほどなの。だから子供や動物をだまそうたってだめなの。純金とにせの金を一目で見わけたり、人の心をすぐ見抜いたりするんだから、ほんとにふしぎなのよ。あんなのを本能というんでしょうか。」
そんな哲学的な、重大な言葉を、口からでまかせにしゃべりながら、ソリーのおかみさんは、ひじまでまくった両手を、石鹸の泡のなかにつっこんで、お客を見あげるのである。
お客のブラウンは、ひざのうえにむっちり肥った十八カ月の子供と、ぶちの猫をのせて、戸口に坐っていた。彼はほっそりした、小男の年寄の船乗りで、ものしずかで、相手のきげんをとることが上手で、そのかわり少々ずるいようなところもあった。船乗りにはよくこんな男があるが、彼も子供や動物がすきで、またそんなものによくなつかれもした。だからこそ、いま現に、歯のない口に火の消えたパイプを動かしながら坐る彼の膝のうえでは、子供はにこにこ笑い、体を丸めた猫は、ごろごろ喉を鳴らして、その足の指を、気持よさそうにうごめかしているのである。
「燈台は淋しいですよ。」ソリー夫人はいう。「たった三人きりで、お隣りがないんですからね。それに洗濯なんかする女が一人もいないんだから、着ている物がきたなくなるでしょうしね。それにこの頃は九時すぎまで起きていなくちゃならんから退屈でしょう。どんなことをしてお暮しになるのかしら。」