TRENDIA CLASSIC
オスカー・ブロ
ズキー事件
リチャード・オースティン・フリーマン Richard Austin Freeman
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犯罪編
良心という言葉は、いろいろの意味に解釈されている。ある人はこれを苛責と解釈しているが、この苛責すなわち remorse の re は再びを意味し、morse は噛むを意味しているところから、学究的にむつかしく考える人は、良心のことを「再び噛む」というのである。それからまた、一方では良心をごく気楽に考える人もあって、そんなことが、幸福と幸福でないことの、決定的な要素のように思われている。
むろん、良心というものを気楽に考える人にも、理窟がないことはないが、そこに大きな問題があるのである。こちこちの固い良心をもった人は、柔かい良心の人だったら「再び噛む」に痛めつけられるようなみじめな状態におちいっても、案外けろりとしているようなこともある。それからまた、ある少数の不運な人は、良心というものを全然もっていないのもあるが、これは普通人の精神的有為転変を超越できるマイナスの賜物といえるだろう。
そのいい例が、サイラス・ヒクラーである。善意にかがやく、いつもにこにこ笑っている彼のほがらかな丸顔をみては、だれだって彼を犯罪者とは思わない。わけても、しょっちゅう機嫌がよくて、家のなかで気がるに喋り、食事の時に気のきいた冗談をとばす彼を、いつも見ているはずの、彼のうちの尊敬すべき高教会派の家政婦は、彼を信じきっていたのである。