TRENDIA CLASSIC

錢形平次捕物控

野村胡堂

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「親分、面白い話がありますぜ」

ガラツ八の八五郎、錢形平次親分の家へ呶鳴り込みました。

「相變らず騷々しいな、横町の萬年娘が、駈落したつて話なら知つて居るよ」

錢形の平次は、戀女房のお靜に顏を當らせ乍ら、滿身に秋の陽を浴びて、うつら/\とやつて居るところだつたのです。

「へツ、そんなつまらない話ぢやねえ。――ところでお靜さん、――いや姐御つて言ふんだつけ――、親分の顏を剃るのはよいが、右から左からいゝ男つ振りを眺めてばかり居ちや、剃り上げないうちに、後から/\生揃つて來ますぜ、へツへツへツ」

「まア、何んといふ口の惡い八五郎さんだらう」

お靜は眞つ赧になつて俯向きました。赤い手柄、赤い襷、白い二の腕を覗かせて、剃刀の扱ひやうも思ひの外器用さうです。

「八、からかつちやいけねえ。さうでなくてせえ、危つかしくて、冷々して居るんだ」

「まア」

とお靜。

「先刻も、止せばいゝのに自分で襟を剃つて、少し剃刀を滑らしたんだ」

「自分の粗相にしても、姐御の頸筋へ傷を付けるのは虐たらしいねえ」

「その血染の剃刀で俺の髭を當つて居るんだから、一つ間違つて手が滑ると夫婦心中だ、ハツハツ、ハツ」

平次はそんな氣樂なことを言つてカラカラと笑つて居ります。

「まア」

お靜は又赧くなりました。

「だがね、親分、仲のいゝ夫婦だからいゝやうなものゝ、他人同士ぢや血と血が刄物の上で交るのは縁起が惡いと言ひますぜ」

「そんな事を擔ぐ人もあるだらうよ。第一血染の剃刀で當られちや氣味が良くないやネ、――ところで八、手前が觸れ込んで來た面白い話つてえのは何だい」

平次は職業意識に返りました。剃つた後で顏を洗つて、綺麗に拭き取ると、煙管を伸ばして、縁側の日向へ煙草盆を引寄せます。

「あツ、忘れてゐた」

ガラツ八は自分の掌でピシリと頬を叩きました。人間は少し甘いが、不思議にいゝ耳を持つたガラツ八は、平次に取つては申分のない見る目嗅ぐ鼻だつたのです。

「忘れるやうぢや、どうせ大した話ぢやあるまい」

と平次。

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