TRENDIA CLASSIC

錢形平次捕物控

野村胡堂

1 / 16

「おつと、待つた」

「親分、そいつはいけねえ、先刻――待つたなしで行かうぜ――と言つたのは、親分の方ぢやありませんか」

「言つたよ、待つたなしと言つたに相違ないが、其處を切られちや、此大石が皆んな死ぬぢやないか。親分子分の間柄だ、そんな因業なことを言はずに、ちよいと此石を待つてくれ」

「驚いたなア、どうも。捕物にかけちや、江戸開府以來の名人と言はれた親分だが、碁を打たしちや、からだらしがないぜ」

御用聞の錢形の平次は、子分のガラツ八こと八五郎を相手に、秋の陽ざしの淡い縁側、軒の糸瓜の、怪奇な影法師が搖れる下で、縁臺碁を打つて居りました。

四世本因坊の名人道策が、日本の圍碁を黄金時代に導き、町方にも專ら碁が行はれた頃、丁度今日の麻雀などのやうに一時に流行を極めた時分です。

尤も平次とガラツ八の碁はほんの眞似事で、碁盤と言つても菓子折の底へ足を付けたほどのもの、それにカキ餅のやうな心細い石ですから、一石を下す毎に、ポコリポコリと、間の拔けた音がするといふ代物、氣のいゝ女房のお靜も、小半日この音を聞かされて、縫物をし乍ら、すつかり氣を腐らして居ります。

「だらしがないは口が過ぎるぞ、ガラツ八奴、手前などは、だらしのあるのは碁だけだらう」

平次も少しムツとしました。

「それぢや、此石を待つてやる代り、何か賭けませう」

「馬鹿ツ、汚い事を言ふな、俺は賭事は大嫌ひだ」

「金でなきアいゝでせう、竹箆とか、餅菓子とか――」

「よしツ、それ程言ふなら、此一番に負けたら、今日一日、お前が親分で俺が子分だ。どんな事を言ひ付けられても、文句を言はないといふ事にしたらどうだ」

「そいつは面白いや、あつしが負けたら、打つなり蹴飛ばすなり、何うともしておくんなさい。何うせ親分なんかに負けつこがないんだから」

「言つたね、さア來い」

二人は又怪しげな碁器の中の石をガチヤガチヤ言はせて、果し合ひ眼で對しました。

「まア、お前さん、そんな約束をなすつて」

お靜は見兼ねて聲を掛けましたが、

「放つて置け、此野郎、一度うんと取つ締めなきア癖になる」

野村胡堂の他の作品