TRENDIA CLASSIC

錢形平次捕物控

野村胡堂

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兩國に小屋を掛けて、江戸開府以來最初の輕業といふものを見せた振袖源太。前髮立の素晴らしい美貌と、水際立つた鮮やかな藝當に、すつかり江戸ツ子の人氣を掴んでしまひました。

あまりの評判に釣られるともなく、半日の春を小屋の中の空氣に浸つた、捕物の名人で『錢形』と異名を取つた御用聞きの平次。夕景から界隈の小料理屋で一杯引つかけて、兩國橋の上にかゝつたのはもう宵の口。

小唄か何か口吟み乍ら、十六夜の月明りにすかして、何の氣もなくヒヨイと見ると、十間ばかり先に、欄干へ片足を掛けて、川へ飛込まうとして居る人間があります。

「あツ」

と言つたが、驅け付けるには少し遠く、大きな聲を出せば、直ぐ飛び込まれるに決つて居ります。

思はず袖へ手が入ると、今しがた剩錢にとつた永樂錢が一枚、右手の食指と拇指の間に立てゝ、ろくに狙ひも定めずピユウと投げると、手練は恐ろしいもので、身を投げようとする男の横鬢をハツと打ちます。

「あツ、何をするんだ」

思はず飛込みさうにした欄干の足を引込めて、側へ飛んで來た平次に、噛みつきさうな顏を見せます。

「お、危ねえ。俺は河童の眞似は得手ぢやねえから、飛込まれたら最後見殺しにしなきアならねえ」

さう言ひ乍ら、冗談らしく相手の袖を押へた平次。咄嗟の間に見極めると、年の頃五十六七、實體らしい老爺さんで、どう間違つても身投などをする柄とは見られません。

「無法な事をするにも程があつたものだ。こんなに脹れちやつたぢやないか、見ろ」

老爺は身投することも忘れて、しきりにこめかみに唾を附け乍ら、小言を言つて居ります。

「勘辨しねえな、とつつあん。さうでもしなきやア、間に合はなかつたんだ。命と釣替へなら、こめかみへ穴が明いたつて我慢が出來ねえこともあるめえ」

「不法な人があつたものだね、どうも」

老爺さん甚だ平かぢやありませんが、永樂錢一枚の痛手で、兎に角死ぬ氣がなくなつてしまつたことだけは事實のやうです。

間もなく平次は、もう一度東兩國の小料理屋に取つて返して、身投を思ひ止らせた老爺の話を聞いて居りました。

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